地震と変位地形について
医学社会学の現地踏査をした際に変位地形と思われる箇所が多く存在する事に気づいた。
社会学調査をするにあたって、人々が生活の基盤として河川を利用していた事に着目し、河川あるいは暗渠の位置を確定してエリアの設定を行った。
江戸期に於いて、都市東京及び近郊農村地域は玉川上水及びその分水をはじめとした他の多くの用水等によって生活が営まれていた。
この用水の掘削に於いて崖等の自然堤を利用していたようである。
つまり、崖沿いに掘削した事が結果的に変位地形とおぼしき場所に沿う結果に繋がったと見るべきだろう。
正確な定義として、変位地形と断定するにはトレンチ調査を待たなければならないだろう。
衛星写真を見た限りにおいて、いわゆる活断層の痕跡と思われる箇所がある。
その多くが用水路あるいは暗渠と重なるのである。
さらにその跡を辿ると、その多くが有名な活断層に繋がるのである。
これには歴史的理由があると思われる。
その位置は学校や病院をはじめとする公共施設が多い。
震災時の避難場所であったり医薬品や食料の保管所であったりしている事に気づかされた。
古地図によると、その多くは水路や調整池そして入会地等の用途が限定されていた場所であった。
断りとして述べるが、災害時後方医療施設としての病院や医薬品や食料品の災害時備蓄倉庫そして避難場所のすべてがそうした箇所ではない。
重ねていうが、正確な判断は地質構造を解析するためのトレンチ調査等が必要である。河川が暗渠となり地下埋設物になる忘れされがちだが痕跡はしっかりとある。
河川の痕跡は蛇行道路、直線道路であってもマンホールが10メートルおきぐらいにある道路、登記所の地積図の不整合地である事が多い。
不整合地の原因は赤道である。
水垢の道か公共水路を構図に赤く表示した事に起因するらしい。
区画整理そして道路拡張である。
形だけをとらえると、変位地形はそうした川筋あるいは痕跡の両端の高さが異なっている場所である。
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