活断層に拠る被害を低減する目的で、地形の変位などを手掛りに調査をおこない一般公開しています。
活断層と変位地形そして水路の関係に注目して調査を行っております。


東日本地域に被害をもたらした海溝型地震は、その歪みとして内陸型の井戸沢活断層を誘発したと考察されます。

東北地方太平洋沖地震は人々に多くの被害をもたらしました。
被災者の皆様におかれましてはお見舞い申し上げます。


ミラノ市立自然史博物館




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調査対象
福島県江花-虫笠起震断層


20216

考察
TOKYOオリンピックは、開催されようとしている。
感染者が増大されない事を願うばかりだ。


この状況下で、再び大地震に遭遇しない事を願うばかりである。

平地の古墳は、水路を外壕として利用して築かれている。

丘陵部の古墳は、水路を避けて築かれている。









調査概論

既知の断層の先はそこからの外延を探す事をしている。
大きな活断層の動きによって生じたひびである。
この罅は数cmであっても建築物や構築物に与える影響が大きい。
水はこのひびに沿って流れる事も多い。
水路に沿って道路が造られる事も多い。

ひびは変位地形に沿う事もある。
扇状地では流れを決定する事もある。

活断層及び断層は、その周辺に直行を含む多くのひび割れを伴う。

ひび割れは長期或いは短期に水などにより寝食され水路を形成する。
急峻な水路は大雨などにより土石流となる。

縄文期や弥生期において、集落はこうした水路と土石流跡を避けた高台に居を構えた。
墳墓や古墳もそうした高台にある。

台地の浸食は長期にわたる水や風そして気温の大きな日格差などにより生じて来た。
短期的には崖崩れなどの斜面崩壊に因る事も多い。
結果、縄文期や弥生期の住居跡そして墳墓などは渓流脇の高台に多く発見される事になったとも考察する。

家並や街並の形成はこの水路を挟んで形成される事が多い。
家並や街並の形成は水たまりである池を避けて形成される事が多い。
家並や街並の形成は湿地や崖地を避ける事が多かった。
湿地や崖地には常緑樹や竹を植える事が多かった。

現在、かつての入会地であった湿地は土壌改良され公共施設が多く建てられている。
崖地は造成され住宅地となっている場所も多い。

都市部の不自然な家並や街並は航空写真で一目瞭然である。
そこから歴史的文化的要因を除く。
例えば、川越市にみられる防塞を目的とした鍵状の家並等である。
次いで、活断層から辿っていった地表や建造物壁面の調査である。

注目すべきはコンクリートで覆われたひび割れである。
山間部では水路や鉱山現場となっている。

活断層はかつての何々地方という表現される地域や地勢と良く合致している。
大きな変位地形は交通の難所となり、地域経済の局地化もたらしている。
参考として、かつての令制国を何地方として載せている。

醤油や酒の製造は良質の川水や地下水と深い繋がりがある。
調査の手掛りとして醤油工場を載せている。

改善を要する個所は道路を含む公共施設に限り公表している。




井戸沢起震断層

井戸沢断層
2011.4.11の地震で人々に大きな災害をもたらしました。
この写真は2010.9
調査で撮影したものです。
活断層とされていなかった断層です。

井戸沢起震断層
2021年2月、福島県南相馬市の東方沖を震源とするM3からM7.3の地震が発生した。
長期間、この場所を起点とした南北線上に群発地震が発生していた。
陸上部の最大震度6強を観測された事から再調査の必要をするに至った。

今回、10年の歳月を経て再調査をした。

この地方の特徴は地方の変遷である。
常陸地方
磐城地方
陸奥地方
磐城地方

鮫川流域
別当川
荷路夫川

今後、海洋型地震が内陸型地震を誘発する事も想定すべきである。
又、福島第1原子力発電所の現状を至急調べる必要がある。




福島県いわき市井戸沢起震断層
井戸沢起震断層


井戸沢起震断層


井戸沢起震断層


井戸沢起震断層



井戸沢起震断層


井戸沢起震断層


東日本地域に被害をもたらした海溝型地震は、その歪みとして内陸型の井戸沢活断層を誘発したと考察されます。


変位地形再調査結果

2021年3月
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2012.5.31
大飯原子力発電所問題は、天平地震或いは天正地震に関連した琵琶湖周辺から中央構造線起震断層に至る諸起震断層を考慮すべきである。

原子力を利用する事と、原子力熱エネルギーによる蒸気発電とは大きな違いがある。
原子核分裂や原子核融合により発生した粒子を直接利用できるならば、制御も可能である。

いわゆる原子力発電所は核分裂により発生した熱で発電をする。
制御は放射能自体でなく発電装置に対するものである。
その証左は放射能の拡散があれば殆ど無力に等しい事にある。

人類は原子力を発電に利用する技術水準に達していないと認識すべきである。
自然環境は、原子力発電所事故の結果に対して、あまりに脆弱である。

この意味において、人類史上や科学技術史上に於ける汚点のみならず、地球に生息する総ての生命に対する人類の汚点と認識すべきである。


深谷起震断層と荒川起震断層に関する考察
関東平野において、起震断層の活動による過去の形跡を現在の地表で視る事は東京湾の変遷を観る事と同様であった。
断層に沿って水路は形成される。

20,000年から18,000年前頃の水路と流域に着目した。
更に6,000年前から現在に至る変遷を考察した。
特に、近年の400年における開削や埋立による河道変更による影響は調査対象地の絞り込みを複雑にした。
古利根川或いは古綾瀬川そして元荒川などの呼称は、およそ20,000年前の流域の表記を如何にすべきと、困惑させられてしまうのである。

約20,000年前に、深谷起震断層と荒川起震断層は同じ流域を形成する重要な要因のひとつであったと考察する。
皺やひび割れそして変位地形の表出は、地層形成の複雑さや河川自体の力に拠る河道変移の影響も考慮しなければならない。

調査対象は地表である。
地震に因る被害は地表の変動である。
高層建築物の長周期震動等は別の機会に考察する。

深谷起震断層と荒川起震断層古東京川を繋ぐ地下深くにある巨大な峡谷に思いを馳せる事も必要なのかもしれない。
地表の痕跡の正確な有無は精密な調査でしか判明しないのである。



2013.02
断層調査の視点について
表層の断層変位は成因に拠って異なる。

舗装道路の断裂は、比較的大きな地震が起きた時に生じると予測した。

断層変位は正断層や横ずれ断層そして逆断層などである。

地滑りや崖崩れは、降雨や地震が起きた時に生じる。
断層の成因に即して、大きな地震が起きた時は必ず生じると予測した。



2014.6
プレートとしてのベーリング海南方のアリューシャン列島の弧の生成に着目していた。
アンドリアノフ諸島地震などから、震源の成因を理解する上で独立したプレートとした方が説明がつくと考える。
アリューシャンプレートとしている研究者もいるようである。

取り敢えず、ここでは日本列島にかかる北米プレートと表記していた箇所を
オホーツクプレートに変えた。
順次、記載の表記を変えてゆく予定である。


2015.1
これ迄の調査で、台地の上に縄文遺跡と貝塚そして古墳などが多く点在していた。

人々は台地の上で居住していた。
海等の採集は川や湖で行っていた。
飲料水は主断層に伴う従断層の亀裂を流れる渓流などから得ている事が多かった考察する。

縄文遺跡やその周辺からは断層跡や地震に拠るがけ崩れ跡が発掘される事も多いようだ。

2011.3、以降は縄文に生きる現代人と認識するべきである。

縄文遺跡と貝塚そして古墳などを調査の手掛りに加える。
今後の調査はこの手掛りを考慮しながら断層変位地形を探す事にした。


調査結果について
断層変位の痕跡は、都市の道路補修跡や地滑りと崖崩れそして砂防工事跡等として現象化する事が多い。

今後の調査について
断層変位の痕跡例は現地調査結果にともなって増すと考えている。

植相調査の遅れは、資料の入手が困難であった事に起因している。

2016.4
九州は大きな地震に見舞われている。

この地震で被害に遭われた方及び逝去された方々にお見舞いと哀悼の意を表します。

ユーラシアプレートとアムールプレートそしてフィリピン海プレートの重なった複雑な領域で起きた地震です。

中央構造線に着目して、フィリピン海プレートに対する反作用を考察した。
今回の地震は震源の深度が比較的浅い事・
又、フィリピン海プレートの詳細な地質構造は明確でない事。
拠って、反作用がどの様になるかを推定する事は極めて困難な作業である。
フィリピン海プレートの東縁付近に影響がある事を想定した調査をする事にした。


2015.5
九州の活断層による被害は続き収まる気配がない。
ユーラシアプレートとアムールプレートそしてフィリピン海プレートの重なる位置で起きた地震である。

直後に起きたエクアドル大地震は遠因として東太平洋海嶺が関係している。
太平洋プレートとフィリピン海プレートも東太平洋海嶺が関係している。

遠隔誘発と断ずる事は資料の開示とその説明が必要である。
因って、現状はこれ以上の理論展開を控える。

拙著の変位地形資料編で千葉県佐倉市の調査結果を開示した。
また、富士山の東に位置する丹沢山塊にある神奈川県玄倉起震断層の追加調査をした。


2016.5
クリープ断層についての考察

地下深くそして比較的浅く地表にいる人々に影響を与えるプレートをはじめとする諸力が存在する。

地質構造とその力の強弱により地表に現出する現象は明確な姿をとる。

舗装道路のひび割れや家屋の土台とそれに続く壁のひび割れの形で出現する。

道路や敷地から続くコンクリート塀や土塀そしてタイル塀などのひび割れとなって現れる。

田畑のあぜ道や用水路壁のひび割れや頻発する決壊箇所の原因ともなる。

崖崩れの要因であり主要な誘因となっている。

火山フロントの形成原因となっている。

クリープ断層のある場所は、何らかの力が断続的あるいは継続的に地表に様々な現象を引き起こしている。
地震を伴う急激な断層変位は、数センチメートルから数メートルの変動となって現れる。
造山活動を行っている変位は、変位数千キロメートルの変動となって現れる。

視点を変えてみる。
極論の可能性はあるが、クリープ断層による変位地形はこのように理解する事も可能である。




2016.6
変位地形調査資料編に掲載
時代区分
医衣食住の各要素を基礎とした文花的区分の一つである食文化的区分がある。
縄文土器文化と弥生土器文化という土器を中心とした文花である土器文化時代。
石器を中心とした食文化である石器文化時代。

石器文化時代の遺跡と遺構が台地との関わりで、変位地形における断崖そして断層の存在可能性を表層的に知る手掛かりを期待したい。

断層調査における石器捏造事件と遺跡の資料的価値について
個々の遺跡や遺構そして石器文化時代痕跡の取り扱いは慎重にならざるを得ない。
しかし、変位地形や地質そして土器文化時代との重合と変移について考察する事とした。

石器の種類で着目したのは、ガラス質火山岩つまりパーライトの黒曜石と石英そして頁岩などの石器製造過程の熱加工痕跡の有無であった。
熱処理加工技術と土器発生の関係にも注目したい。

石器文化時代の資料は年代測定額の知見を参考にしながら変位地形調査の為の資料を作成する事にした。

2011年3月11日以降の現状と石器文化時代における黒曜石産地のひとつとされる高原高原付近を再調査した。
変位地形調査結果の栃木県関谷断層に結果を載せた。


2016,8
変位地形調査資料編に掲載
縄文遺跡および遺構と変位地形そして活断層の関係
縄文文化時代における遺跡や遺構を手掛かりに変位地形と水路そして活断層の有無を調査してきた。

長野県神城活断層地震に関わる白馬村を対象とした信州大学理学部の詳細な研究成果が発表された。
この成果は、2015年1月以来続けてきた縄文遺跡および遺構と変位地形そして活断層の関係性を傍証する有力な結果を示した。
断層変位地形と人々の実生活構造及び心性そして文化構造の関係性を解明する視座の構築作業に於いて一助となるであろう。


2016.9
参考リンク先を追加
変位地形調査結果資料編

http://www.waterway.jp/land02/page100/page100.html

http://www.waterway.jp/land02/page101/page101.html

2017.3
逆断層に沿って建設された道路に多く見られる並行して生じた皺がある。
そして、断層と交差する地点で出来る道路上の亀裂と補修跡がある。
車両通行に因る影響とされてきたが、法敷工事後の断層による圧縮応力による影響を考察する必要もあるだろう。


2017.10
変位地形調査資料編に掲載
柏崎-山武構造線
木戸川と作田川そして境川付近の成東地域の成立過程を調査した。
プレートテクトニクスと日本列島の成立を、今回は主に地質学と歴史地理学の知見を基に考察した。
プレートの傾斜や重層を考慮すると構造線が明確な形で存在しない可能性も考慮する必要がある。

日本列島成立過程の大きな動きに対して、一見すると、ボーリング掘削調査は地殻の表層を見ている様に思える。
しかし、糸魚川-静岡構造線が部分的に露頭があるように、ボーリング掘削によりその動きを知る事が可能である。
海底に続く埋没谷の詳細な調査結果が出る事を期待する。
その表層に建物や構築物があり地震等によって地質の違いや断層そして断崖が動く事である。
地震被害は表層で暮らす人々の生活を破壊するのである。
今回の調査は断崖や台地の上に祭られる神社を手掛りに調査をする事にした。
詳細は変位地形調査結果資料編を参照。


2018.1
縄文遺跡と変位地形そして断層の関連について
2015年1月以来の調査をして変位地形調査結果で公表した。
この事は信州大学の2016.3.31付論文「長野県白馬村における新城断層の地形を利用した歴史遺構」で明証された。

既に明らかにされている事だが、変位地形と断層を走る水路を巧みに利用した城の遺構なども調査してゆきたい。



2018.9

信濃地方
糸魚川静岡構造線起震断層

考察
糸魚川静岡構造線断層3は、逆断層とされている。(産業技術総合研究所)
牛伏寺起震断層は、左横ずれ断層とされている。(産業技術総合研究所)


牛伏寺起震断層が左横ずれ断層であるのは何故か。
戸隠山起震断層と長野盆地西緑起震断層との関連を考慮する必要もあると考察した。

塩辛遺跡は、女鳥羽川めとばがわを挟んだ女鳥羽川遺跡群との関連で考察する必要がある。



地質構造に関する参考資料を紹介します。
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
「日本を分断する糸魚川−静岡構造線最北部の謎が明らかに」





201812
変位地形調査資料編に掲載
武蔵野台地東縁で上野台地と紹介されている箇所にある西ヶ原貝塚を調査した。
同時に、付近にある中里貝塚との関連を調査考察した。
変位地形調査結果資料編より
http://www.waterway.jp/land02/page123/page123.html

武蔵野台地東縁崖線であり、上野台地の峡ハケについて
アイヌ語で川下を意味するpankeを語源とするハケについての記述が「東京市荒川区編;荒川区史、昭和11年出版」の210頁にある。
因みに、荒川区に峡田小学校が多くある。
峡田は、峡田氏の名称を意味する事もあるが、多くの田がハケの水を多く利用していた事を意味していると推察できる。
昭和の時代迄はハケの水を利用した製紙工場や染め物工場も多く存在していた。

都市断層として、考察の対象とした変位地形のひとつである護国寺や茗荷谷そして講談社付近の湧水について述べておく。
第2次世界大戦の時、講談社の脇に噴出していた湧水は飲料水としても利用されていたようである。
縄文遺跡のある集落に河川以外に湧水が必要であった事は既に述べていたが、今回の調査でに於ける重要な視点である。

武蔵野台地の伏流水に起源をもつ峡ハケの存在が西ヶ原貝塚が中里貝塚と密接な関係である事を示唆している。
縄文の海退に伴い自然堤防堆積物のひとつである浜堤ひんてい堆積物は河岸段丘と異なっている。

火山噴出物に起源をもつ堆積岩類と海成岩類の混合大地の広がりは多くの人々が生活出来る場所となった。
その生活を支える清流となる水源が多く存在していた事は明確なことと考察する。

嘗て、台地の上に居住していた時は海進に拠る水源の確保は海岸線に沿った崖線の中腹に水源があり、飲料水の確保が困難であったと推定される。
海退により、水源の確保は容易になったと推定する。

集落の増加と貝殻の増加は、衛生環境の悪化を招いたであろうと推定する。
結果、呪術的意味を併せ持っていた貝塚は単純に廃棄物の集積所となったと推定できる。

食料の豊穣という祈りという呪術的意味が失われて行く過程と考察する。
新たな祈りと儀式について、今後の考察対象にしてゆきたい。

近代における遺跡調査環境は、富国強兵の明治期と大正期そして現代に至るまで共通する事がある。
政府の都市計は利益社会関係を主軸とした乱開発により失敗して今日に至っている。
結果、遺跡調査が困難を極める結果を招来してしまった。

鉄道の敷設が及ぼした影響について
昭和初期に赤羽駅と田端駅を結ぶ複線化の工事に伴い築堤がされたとの記録がある。
王子駅付近の土地利用計画に伴う地盤の改変についても、今後の考察対象としたい。


2019年4月
変位地形調査資料編に掲載

調査対象
埼玉県水子貝塚
断層を探す手掛りとして、貝塚の調査をしてきた。
今回の調査は既知の起震断層の延長を細くする結果となった。
荒川起震断層と新河岸川断層そして深谷起震断層の平井活動領域延長を総合的に考察した。

水子貝塚の南側に推定される湧水地跡を特定する事が出来なかった。
付近に散在する湧水を利用していたと推定する。
課題は其所と集落を結ぶ通路と距離である。
この点については今後の考察対象にしたい。

湧水路について
水子貝塚は西ヶ原貝塚そして中里貝塚の調査結果を参考にする。
比較的近くにある湧水を利用していたと考察する。
大應寺付近の断崖を撮影した。
稲荷神社の位置が変わったのか?

湧水若しくは渓流と有機廃棄物でもある貝塚の峻別における衛生観念について
縄文人に取って、明確な意識化に存在していたか否かは今後の考察対象としたい。
然し乍ら、五感に拠る経験則として峻別していたと推定する。

排便に拠る糞尿の処置について
論文の検索から始め、縄文人の衛生観念変遷を考察対象としてゆきたい。



2019年4月
変位地形調査資料編に掲載

千葉県加曽利貝塚
東京湾北部断層と加曽利貝塚の関連について
水子貝塚の調査で課題とした湧泉個所の確認も併せて調査した。
調査結果では地下の帯水層から湧出による湧水の確認が出来なかった。
しかし、加曽利貝塚の内で南貝塚の南端に在る崖線を調査で加曽利じゅん采池公園に至ると思われる暗渠の入口を確認した。
次の機会に、県営住宅の南崖線と桜木南第2公園付近を調査する必要があると考察した。

東京湾北部断層との関連については並行する坂月川に注目した。

最終間氷期以降の最寒冷期後に始まる縄文の海進により、現在の坂月川は河川跡の流域に汽水域を経て海水域に変容した。
現在の坂月川の水源地から地下水脈を調べる為に、市街地の家並と街並の状態と井戸或は痕跡の位置を考察する必要と考える。

南貝塚南方の崖の湧出について
先ず、崖の湧出個所を現地調査する必要がある。
その後、地滑りによる圧縮亀裂か引張り亀裂かを地形調査結果と突合させて考察する事とする予定である。



2019年7月
構造線は数kmの幅で確認できる。
其所の活動域若しくは痕跡を見つける手段として、地質の境界と河川に着目せいた。
河川は時間の経過に従い河岸段丘を形成する事から、段丘を横断する形で調査する必要があった。


2019年8月
関谷起震断層の表層変位地形脈路の延長を辿り、地史学的観点からの調査を行った。
今回は、地質年代に視座をおいて調査した。
箒川と内川、宮川と谷川、江川と荒川、そして鬼怒川に至る変位地形の地史を考察した。

箒川と内川の関連を調査する予定である。

東西に流れる江川は非常に興味深い。
標高差を考慮すると、内川の東方変移を誘った要因が江川形成に関わっていると考察する。
右横ずれ断層が存在している可能性もあると考えた。
断層の存否を含め、剪断応力の存在を調査する予定である。


2019年9月
関谷起震断層の表層変位地形脈路の延長を辿り、地史学的観点からの調査を行った。
今回は、地質年代に視座をおいて調査した。
標高差を考慮すると、内川の東方変移を誘った要因が江川形成に関わっていると考察する。

箒川と内川そして栃木県那須塩原市宇都野から栃木県上伊佐野に至る火砕流堆積物を考察した。
矢板市立郷土資料館の東方に広がる東北自動車道に掛かる付近に着目した。
又、栃木県矢板市街地を経て山苗代、こぶし台、東北自動車道矢板インターチェンジ、片岡駅付近に至る付近に着目した。

嘗て、火砕流堆積物が覆う以前は箒川の分流が流れていた可能性もあると考察してる。

関谷断層
の延長に沿って分流が流れていた可能性があると考えている。
そして内川上流を形成し、更に南下して鬼怒川に合流した可能性も考慮している。


変位地形調査結果資料編から
2019年
10
調査対象
千葉県野田市
定点観測
台風15号の影響を調査した。
目視では、この台風の影響を知る事は出来なかった。

これ迄の調査は、断層とされていない地域であっても既知の断層の延長上や地震の震度分布や震央そしてプレートに拠る歪みの有無を調べる事にあった。
又、火山の噴火による影響と火山フロントの分布を手掛かりとして考察してきた。
現地調査では、道路或いは山の斜面を走る亀裂や補修跡が発見することが出来た。

利根川の東遷について、野田市にある関宿城博物館付近と関宿城跡付近の踏査を行ってきたが土地利用の改変が著しく困難を極めた。
そこで、次の幾つかの視点で調査する事にした。

地理上の自然環境変化として、関谷断層の調査過程で知見と予測により箒川と那珂川そして大蛇尾川による氾濫域に注目した。
(拙著;
栃木県関谷断層

今回の調査でも同様に、氾濫域と河川の水制に於ける自然堤防の思想に着目点をおいた。

利根川の東遷において、施政者の流路改変の目的と住民の水利における利害社会関係と共益社会関係に着目した。
古文書に見られる農民の普請申し出と幕府の思惑の共通点と利益相反点そして妥協点などである。

近年に於いて、河川法の改定により大規模堤防の造成と自然堤防域そして輪中の堤内が再開発された。
今回の踏査に於いて、明確な水路の変遷跡を特定するに至らなかった。

想定外という、想定した人々の知識を超えた自然災害の影響を考慮すると、再評価と再点検により想定を変える必要があると考える。
巨大な19号台風の本州接近を間近に控え、どのような影響を受けるのかが心配である。




リンク
変位地形調査結果資料編

医学社会学


次のサイトを参考資料として利用させていただいております。
国立研究開発法人産業技術総合研究所






注意事項
医療機関名や大学名及び住所そして電話番号等は調査時点のものです。
ご了承ください。
緯度と経度は再調査の為の資料であり、必ずしも正確な位置を示してはいません。



ただいま調査中
2015