断層に拠る被害を低減する目的で、地形の変位などを手掛りに調査をおこない一般公開しています。
断層と変位地形そして水路の関係に注目して調査を行っております。

サイトの操作案内
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画面が展開します。


所感
緊急事態宣言について
諸個人は、自粛要請に従っている者と感染を恐れて自発的に自粛している者に峻別される。
初期の対応が遅れた事態は、医療体制の構築よりも東京オリンピック延期決定を優先した可能性があると考察する。
新型インフルエンザの教訓は生かされず、結果として新型コロナウィルス感染の危険性を拡大させた側面がある。

新型インフルエンザに言及した拙著サイトを紹介する。

ウィルス感染予防に言及した拙著サイトを紹介する。

ウィルスについて言及した拙著サイトを紹介する。







2021年7月

調査対象

都市形成と数百年の変異

旧来の街道設置と都市計画について
活断層沿いに在る古い街並は、震災の際に甚大な被害を受ける可能性に対処する必要がある。
城下町を始めとする都市計画は、こうした旧来の宿場町を含む町造りが活断層被害を受けた事の可否を考慮したか疑問である。

都市東京と都市大阪そして都市京都を始めとする多くの地方都市が活断層への行政による警鐘を受けている。

明治時代以降は政治と行政機関に拠らない都市形成が多くある。
公道にある道の駅と高速道路の休憩地は、遠い将来の街並形成と都市形成の判断材料になる可能性もある。
結果として、現代そして将来の都市発展は多くの公共道路そして高速道路の発達に依存してゆく可能性を秘めている。

街形成と都市形成は、災害などを回避できる条件で住民の意思形成そして同意を基礎に行なうべきと考察する。
又、予想外の災害が発生した場合に対処する必要と緊急体制を想定して置くべきと考える。

資料を参考すると深谷活断層に沿って街道が在る事も理解できる。
現在、その街道沿いの宿場町は変容を遂げて繁栄している。
其処で暮らす常民に拠って、人々が営む事つまり経済である。
それが生活様式が生活様式である。
コロナ禍で新しい生活様式などと言われているが概念実証がなく単純でも無い。

都市東京や都市大阪そして都市京都が大地震に因る壊滅的損壊に至った場合について
旧来の宿場町のような過程を辿れるのかが課題であると考察する。

自然災害が無くとも高層ビルが近未来に辿る変異と近隣に及ぼす影響に対する都市計画案を示すべきである。
現在、旧建築基準法の基で建てられた共同住宅や中高層建築物は老朽化を辿り始めている事を認識しなければならない。

未来の町と都市に於ける街造りを考察する目的で今後の調査を進める。



平野部に於ける震源は幾つかの要因に分類可能である。

1、既に知られている起震断層付近の震源。
2、断層の可能性があり、地下構造を調査中の震源。
3、震央付近に河川や湖沼がある震源。

震央付近に河川や湖沼がある地震が多くある。
震源と震央の震度は一致しない事が多い。
地下構造が関係していると容易に考察できる。
表層構造は、震央付近の地層成立過程が関わっている。

plate tectonicsプレートテクトニクス理論だけでは説明がつかない事例である。
東日本大地震に誘発されたとされる井戸沢起震断層では、表層構造による地震が住民に被害を与えた。
震央付近に河川湖沼がある地形は、此れまでの現地踏査において地質的な境界線や境界面が存在している場所でもあった。

コロナ禍であるが、地震の多発に鑑みて文部科学省地震調査研究推進本部の資料を参考に調査をする事にした。
台地の形成過程と河川湖沼に着目して外観の現地踏査をする事にした。

武蔵野台地
本郷台地(本郷台)
上野台地(上野台)
藍染川(暗渠)
谷田川(暗渠)
下末吉海進
縄文海進
貝塚

これらを知見を軸に台地の形成過程を表層そして地下構造に着目してを調査した。
断層に沿った主要水路を調査してきたが、交差するように台地の縁を流れる水路があった。
この交差水路は台地の形成過程と関わりがあると考察した。
要因として、変位地形と開削(自然流路改変)そして地質境界(面と線)があると考察した。
定点による経過観察をする必要があると考える。
今回の調査は暗渠である細街路を辿った。

道路工事中の現場に何度も遭遇した事が印象的だった。
社会学的な分析も必要であると考察した。












*拙著を観る時の参考留意点

武蔵野台地
上野台地(上野台)
石神井川
音無川

藍染川(暗渠)
下末吉海進
縄文海進
貝塚

これらを知見を軸に台地の形成過程を表層そして地下構造に着目してを調査した。
断層に沿った主要水路を調査してきたが、交差するように台地の縁を流れる水路があった。
この交差水路は台地の形成過程と関わりがあると考察した。
要因として、変位地形と開削(自然流路改変)そして地質境界(面と線)があると考察した。
定点による経過観察をする必要がある。




拙著の解説
柏崎–山武構造線
深谷断層と元荒川断層そして綾瀬川断層は、群馬県高崎市新町付近を通過していた可能性がある利根川断層の巨大な罅割れであると考察する。

利根川は、構造に沿う形で流れて埼玉県久喜市付近と千葉県関宿で氾濫原を残した状態で常陸川へ流路を変えた。

嘗ての常陸川は、飯沼川と鬼怒川そして小貝川を巻き込み印西市付近で流路をかえた。

地史的に見ると、表層の変位は部分的に将監川ショウケンガワと上野東京ラインに沿う形で成田空港方向へ向かっていた可能性がある。



拙著関連サイト

茨城県坂東市

千葉県野田市

関宿城址

柏崎-山武構造線9

柏崎-山武構造線11








福島県いわき市井戸沢断層
井戸沢断層は2011年4月の地震で人々に大きな災害をもたらしました、
この写真は地震の前年である2010年9月の
現地調査で撮影したものです。
従来は、定義により活断層とされていなかった断層です。



『2021年3月現地再調査』

井戸沢起震断層
2011年3月そして2011年4月の地震時、災害復興の妨げになる事を避けて現地の再調査を控えていた。

2021年2月、福島県南相馬市の東方沖を震源とするM3からM7.3の地震が発生した。
長期間、この場所を起点とした南北線上に群発地震が発生していた。
陸上部の最大震度6強を観測された事から再調査の必要をするに至った。

今回、10年の歳月を経て再調査をした。

この地方の特徴は地方の変遷である。
常陸地方
磐城地方
陸奥地方
磐城地方

鮫川流域
別当川
荷路夫川

今後、海洋型地震が内陸型地震を誘発する事も想定すべきである。
又、福島第1原子力発電所の現状を至急調べる必要がある。

写真
P3200057

P3200056

P3200058

参考:変位地形調査結果というサイトに写真の追加があります。


福島県いわき市井戸沢起震断層



井戸沢起震断層



東日本地域に被害をもたらした海溝型地震は、その歪みとして内陸型の井戸沢活断層を誘発したと考察されます。


東北地方太平洋沖地震は人々に多くの被害をもたらしました。
被災者の皆様におかれましてはお見舞い申し上げます。

Furano


Yokohama


大垂水峠


満開の雪



調査概要

既知の断層の先はそこからの外延を探す事をしている。
大きな活断層の動きによって生じたひびである。
この罅は数cmであっても建築物や構築物に与える影響が大きい。
水はこのひびに沿って流れる事も多い。
水路に沿って道路が造られる事も多い。

活断層及び断層は、その周辺に直行を含む多くのひび割れを伴う。

ひび割れは長期或いは短期に水などにより寝食され水路を形成する。
急峻な水路は大雨などにより土石流となる。

縄文期や弥生期において、集落はこうした水路と土石流跡を避けた高台に居を構えた。
墳墓や古墳もそうした高台にある。

台地の浸食は長期にわたる水や風そして気温の大きな日格差などにより生じて来た。
短期的には崖崩れなどの斜面崩壊に因る事も多い。
結果、縄文期や弥生期の住居跡そして墳墓などは渓流脇の高台に多く発見される事になったとも考察する。

ひびは変位地形に沿う事もある。
扇状地では流れを決定する事もある。

家並や街並の形成はこの水路を挟んで形成される事が多い。
家並や街並の形成は水たまりである池を避けて形成される事が多い。
家並や街並の形成は湿地や崖地を避ける事が多かった。
湿地や崖地には常緑樹や竹を植える事が多かった。

現在、かつての入会地であった湿地は土壌改良され公共施設が多く建てられている。
崖地は造成され住宅地となっている場所も多い。

都市部の不自然な家並や街並は航空写真で一目瞭然である。
そこから歴史的文化的要因を除く。
例えば、川越市にみられる防塞を目的とした鍵状の家並等である。
次いで、活断層から辿っていった地表や建造物壁面の調査である。

注目すべきはコンクリートで覆われたひび割れである。
山間部では水路や鉱山現場となっている。

活断層はかつての何々地方という表現される地域や地勢と良く合致している。
大きな変位地形は交通の難所となり、地域経済の局地化もたらしている。
参考として、かつての令制国を何地方として載せている。

醤油や酒の製造は良質の川水や地下水と深い繋がりがある。
調査の手掛りとして醤油工場を載せている。

逆断層があるのか。
横ずれがあるのか。
正断層はあるのか。
プレート圧力に拠る崩落傾向を考えた。
逆断層の場合は舗装道路面が皺となり、道路の走行方向に細かい亀裂クラックが入っている事が多かった。




留意点
道路破損の直接的原因は車両走行によるものが多い。
変位地形上部の崩落は雨水や地下水によるものが多い。
舗装道路破損は車両の車種や通行量そして降水量や地下水脈の有無を考慮した。
又、以前に行われた道路補修の工法を考慮する必要もあった。

都市部は下水管埋設が指標のひとつである。
下水管埋設による影響は考慮する必要があった。
又、嘗ての水路が暗渠となり下水管が埋設された歴史も考慮する必要がある。

ここでは正確な原因を評価する事が出来ない。
画像を表示する。

改善を要する個所は道路を含む公共施設に限り公表している。



2011.3.11の東日本大震災から2年余の時間が経過した。
原発事故の影響で東北地方の復興も大きく遅延している。
他方、新宿御苑の庭は以前の姿を取り戻している。



参考
当時の宮内省は1879年に新宿植物御苑として設定した。
常陸江戸氏や太田氏そして徳川氏の時代はどの様な変遷を辿ったのだろうか。


新宿御苑の先史遺跡は調査し尽くされたのだろうか。
水路に沿った遺跡は発掘されている。
水路沿いの高台と高台奥地の遺跡は土地の改変により痕跡を探すのが難しいとされて来た。
地理歴史を辿れば、台地の遺跡や遺構は土地の改変が少ない箇所で発見できると考える。
また、土地の改変により水路が暗渠や地下水脈化された場所は周辺の変位地形や断層変位地形を辿る事に拠って再現できる。
従って、人工の改変以前の元々台地であった場所や埋め立てられた地溝辺部も、元の水路を辿る事により再現できる。

この視点から、遺跡と遺構に着目して新宿御苑を調査した。



2014.6
プレートとしてのベーリング海南方のアリューシャン列島の弧の生成に着目していた。
アンドリアノフ諸島地震などから、震源の成因を理解する上で独立したプレートとした方が説明がつくと考える。
アリューシャンプレートとしている研究者もいるようである。

取り敢えず、ここでは日本列島にかかる北米プレートと表記していた箇所を
オホーツクプレートに変えた。
順次、記載の表記を変えてゆく予定である。

2015.1
これ迄の調査で、台地の上に縄文遺跡と貝塚そして古墳などが多く点在していた。

人々は台地の上で居住していた。
海等の採集は川や湖で行っていた。
飲料水は主断層に伴う従断層の亀裂を流れる渓流などから得ている事が多かった考察する。

縄文遺跡やその周辺からは断層跡や地震に拠るがけ崩れ跡が発掘される事も多いようだ。

2011年3月11日以降は縄文に生きる現代人と認識するべきである。

縄文遺跡と貝塚そして古墳などを調査の手掛りに加える。
今後の調査はこの手掛りを考慮しながら断層変位地形を探す事にした。

行政区を区分けにした記述から、自然環境や自然地理による記述に変えてゆく。

2015.3
貝塚を手掛りに調査する際は、海岸浸食を考慮する事が必要となる。

2015.7
最近は関東地方周辺の地震が頻発している。
海溝や地溝帯が関与しているような震央も散見される。
暫くの間、構造線や構造帯に関する緒論を参考に地表に於ける影響の有無を調査してゆく事にした。
西南日本弧と東北日本弧に於ける火山フロントについての一考察を以下に述べる。

中央構造線は関東地方でフィリピン海プレートの陥入により北へ押し上げられたと仮定する。
同時に白山火山帯の東縁付近が北へ押し戻されたと考察する。

鳥海火山帯と那須火山帯は太平洋プレートの圧力により形成されたとする。
それでは、どちらの火山帯の火山フロントの西縁が白山火山帯の火山フロントと接合するのか。
火山基盤構造を基準とした知見では那須火山帯の火山フロントであるとされている。

柏崎の地表付近にある変位地形と佐渡に至る海底の地形を考察の一助とする。

2015.8
乗鞍火山帯と富士火山帯の影響を考慮すると、地表に現れる現象は複雑になるがより影響の少ない箇所から調査をする予定である。
変動規模の大きさを考慮すると、山脈の縁に位置する火山を断層に沿って尾根を結ぶ線を考察対象にした。
柏崎と銚子若しくは千葉県山武郡芝山町高谷たかやを結ぶ構造線と従断層の交差点と考える場所を調査する事にした。


諸説ある地下プレートの立体構造を参考に、気象庁震源関係資料の二次資料となるが、視覚的に判り易い国立研究開発法人産業技術総合研究所の活断層データベースの震源分布を考察の中心とした。

2015.10
柏崎ー高谷構造線4の調査で、舗装道路上の特徴的な並行する
2本のひび割れを観察した。
原因は地下水の氷結による膨張によって舗装面が損壊した凍上現象と推察した。

考察
道路舗装の骨材に拠るひび割れである可能性も考慮した。
又、橋梁に近い事から、橋梁の鋼材と道路舗装材の伸縮係数の相違と車両通過に伴う振動に拠る影響も考えた。
しかし、亀裂の位置が橋梁の端から距離がある事から、留意するに止めた。

2本の皹の中心部は地下水の流入もしくは水路の存在を推定した。
考察すべきは、何故この場所にこのような現象が現れたかである。
山の法面を窪地に沿って流入している事は自明の理である。
こうした窪地は山地と丘陵地そして扇状地で形成過程が異なっている要因と同一の要因を精査すべきと考える。
今度の調査は地下40〜60キロメートルを基底とする変動に着目している。
調査地点の絞り込みをを最終的に衛星写真と地形図で行う事に躊躇はある。
しかし、敢えて表層に現れた現象を考察する事も有意義であるだろう。

日本列島を形成する基盤となるプレートの構成と変動を考察する。
その影響は様々な形で現れると考える。
急激で強い変動は巨大地震となり衆人の知る所である。
ゆっくりとした変動はどの様な形で現象化するのであろうか。

様々な事象において、急激な変動は勿論であるがこうしたゆっくりと力強い変動も調査研究の中心としてゆきたい。

2016.4
九州は大きな地震に見舞われている。

この地震で被害に遭われた方及び逝去された方々にお見舞いと哀悼の意を表します。

ユーラシアプレートとアムールプレートそしてフィリピン海プレートの重なった複雑な領域で起きた地震です。

中央構造線に着目して、フィリピン海プレートに対する反作用を考察した。
今回の地震は震源の深度が比較的浅い事・
又、フィリピン海プレートの詳細な地質構造は明確でない事。
拠って、反作用がどの様になるかを推定する事は極めて困難な作業である。
フィリピン海プレートの東縁付近に影響がある事を想定した調査をする事にした。

2016.5
クリープ断層についての考察

地下深くそして比較的浅く地表にいる人々に影響を与えるプレートをはじめとする諸力が存在する。

地質構造とその力の強弱により地表に現出する現象は明確な姿をとる。

舗装道路のひび割れや家屋の土台とそれに続く壁のひび割れの形で出現する。

道路や敷地から続くコンクリート塀や土塀そしてタイル塀などのひび割れとなって現れる。

田畑のあぜ道や用水路壁のひび割れや頻発する決壊箇所の原因ともなる。

崖崩れの要因であり主要な誘因となっている。

火山フロントの形成原因となっている。

クリープ断層のある場所は、何らかの力が断続的あるいは継続的に地表に様々な現象を引き起こしている。
地震を伴う急激な断層変位は、数センチメートルから数メートルの変動となって現れる。
造山活動を行っている変位は、変位数千キロメートルの変動となって現れる。

視点を変えてみる。
極論の可能性はあるが、クリープ断層による変位地形はこのように理解する事も可能である。



2016.5
縄文遺跡と台地そして断層の関係は変位地形の解明をする一助として行ってきた。
縄文遺跡の地下にある石器群遺跡を手掛りに変位地形の更なる調査に着手する事にした。

最初に群馬県みどり市の岩宿遺跡から始める。
 
2016.6
時代区分
医衣食住の各要素を基礎とした文花的区分の一つである食文化的区分がある。
縄文土器文化と弥生土器文化という土器を中心とした文花である土器文化時代。
石器を中心とした食文化である石器文化時代。

石器文化時代の遺跡と遺構が台地との関わりで、変位地形における断崖そして断層の存在可能性を表層的に知る手掛かりを期待したい。

断層調査における石器捏造事件と遺跡の資料的価値について
個々の遺跡や遺構そして石器文化時代痕跡の取り扱いは慎重にならざるを得ない。
しかし、変位地形や地質そして土器文化時代との重合と変移について考察する事とした。

石器の種類で着目したのは、ガラス質火山岩つまりパーライトの黒曜石と石英そして頁岩などの石器製造過程の熱加工痕跡の有無であった。
熱処理加工技術と土器発生の関係にも注目したい。

石器文化時代の資料は年代測定額の知見を参考にしながら変位地形調査の為の資料を作成する事にした。

2011年3月11日以降の現状と石器文化時代における黒曜石産地のひとつとされる高原高原付近を再調査した。
変位地形調査結果の栃木県関谷断層に結果を載せた。


2016,8
縄文遺跡および遺構と変位地形そして活断層の関係
縄文文化時代における遺跡や遺構を手掛かりに変位地形と水路そして活断層の有無を調査してきた。

長野県神城活断層地震に関わる白馬村を対象とした信州大学理学部の詳細な研究成果が発表された。
この成果は、2015年1月以来続けてきた縄文遺跡および遺構と変位地形そして活断層の関係性を傍証する有力な結果を示した。
断層変位地形と人々の実生活構造及び心性そして文花構造の関係性を解明する視座の構築作業に於いて一助となるであろう。


2016.10
みどり市を対象とした調査により、従前からの表示である柏崎-銚子構造線或は柏崎-千葉構造線に従い柏崎-高谷構造線の表記を柏崎-山武郡に訂正する。
地質に着目し地質年代の変遷や火山活動の知見などを総合的に再考察した。
この結果、地表に現れる構造線の断裂そして不連続を考慮する必要があると推定した。
成田空港を縦断しているであろう柏崎-高谷構造線の表記を柏崎-山武郡構造線に変えた。


2016.11
柏崎-山武郡構造線
桐生市広沢町に在る広沢丘陵は別名を八王子丘陵と云う。
八王子丘陵と新田金山丘陵は渡良瀬川の西岸に位置している。
地質的に渡良瀬川の東側に在る足尾山地あるいは足尾山塊と共通する地質を有している。
渡良瀬川に分断された様相である。
何故、渡良瀬川が其所を流れたのか。
想起されるのは断層である。
断層であると仮定すると、どのような力が加わったのか。
幾つかの論文を散見したが、何れも調査研究の途上のようである。
先ず、現地調査をする事にした。


2017.9
柏崎-山武構造線
柏崎-山武郡構造線の調査対象を山武市に広げる必要性を考慮した。
拠って、一般的にも判り易くする事を考慮して柏崎-山武構造線と変更する。


2017.3
逆断層に沿って建設された道路に多く見られる並行して生じた皺がある。
そして、断層と交差する地点で出来る道路上の亀裂と補修跡がある。

車両通行に因る影響とされてきたが、法敷工事後の断層による圧縮応力による影響を考察する必要もあるだろう。


2017.10
柏崎-山武構造線
木戸川と作田川そして境川付近の成東地域の成立過程を調査した。
プレートテクトニクスと日本列島の成立を、今回は主に地質学と歴史地理学の知見を基に考察した。
プレートの傾斜や重層を考慮すると構造線が明確な形で存在しない可能性も考慮する必要がある。

日本列島成立過程の大きな動きに対して、一見すると、ボーリング掘削調査は地殻の表層を見ている様に思える。
しかし、糸魚川-静岡構造線が部分的に露頭があるように、ボーリング掘削によりその動きを知る事が可能である。
海底に続く埋没谷の詳細な調査結果が出る事を期待する。

その表層に建物や構築物があり地震等によって地質の違いや断層そして断崖が動く事である。
地震被害は表層で暮らす人々の生活を破壊するのである。
今回の調査は断崖や台地の上に祭られる神社を手掛りに調査をする事にした。


2018年3月
埼玉県黒浜貝塚
縄文遺跡と変位地形そして断層の関連について
2015年1月以来の調査をして変位地形調査結果で公表した。
この事は信州大学の2016.3.31付論文「長野県白馬村における新城断層の地形を利用した歴史遺構」で明証された。
既に明らかにされている事だが、変位地形と断層を走る水路を巧みに利用した城の遺構なども調査してゆきたい。

貝塚のある縄文遺跡は、常に次の様な自然条件が存在している。
渓流がある事もしくは湧き水がある事。
比較的大きな川がある事もしくは海辺である事。

川は、後世に断層に沿って流域が出来たものもある。
しかし、飲料水は渓流や湧き水から摂取していたようだ。
渓流や湧き水を飲料水とする事は、体調を良好な状態で維持できる事を経験的に知っていたと考察する。
河川や湖沼の水は病原菌や寄生虫などが多い。

渓流や湧き水を入手できない場合は貝塚のように腐敗する有機物の集積を避けたと考察する。
近接する集落で貝塚形成の差異がある場合、共益社会関係から利益社会関係に移行する状態が存在している事と考察する。
支配関係の萌芽も考慮する必要もあるだろう。

嘗て、注目された烏山-菅生沼構造線を調査した。
ミュージアムパーク茨城県自然博物館の耐震性について
子供達が多く集まる場所です。
展示物の落下や倒壊による2次災害には充分過ぎる配慮を願いたい。



2018年8月
柏崎−山武構造線12は、国立研究開発法人産業技術総合研究所の活断層データベースを参考に調査を進めている。

起震断層・活動セグメント検索の活断層関連文献検索調査地検索の地震の震央分布図を考察した。
現在は東遷により利根川となっているが、2011年から2013年の資料を看て気づいた事がある。
嘗ての藺沼後に常陸川の左岸に、震央が分布している。

更に、筑西市とつくば市と取手市そして千葉市を貫く震源深度50kmで幅10km以上の分布が読み取れる。
今回の調査は柏崎−山武構造線の資料収集を目的にした調査であった。

旧常陸川の中でこの付近は左岸と右岸がパズルのように相似である。
右横ずれ断層を想起させる。
河岸段丘とすれば相当量の急流でなければならないが、この付近だけと考えると否定的にならざるを得ない。

想定するのは地下からの圧力あるいはトランスフォーム断層である。
深部の地質構造も着目して行きたい。
取り敢えず、現地に赴いた。



2018年8月
柏崎−山武構造線13
千葉県印西市木下きおろしにある木下貝層と竹袋稲荷神社のある台地と断崖など変位地形を調べた。
貝層は自然貝層と人為貝層である貝塚がある。
木下貝層から南南西に天神台遺跡がある事から、木下万葉公園の台地付近も貝塚や縄文後期の遺跡が出土する可能性もあると考察する。

今回の調査は、主に印西市の北方である。
印西市木下の南方に位置する天神台関連の縄文遺跡も今後の調査対象としたい。
構造線は広い事から、必然的に調査の幅と振幅も多い事となる。
調査は、構造線の中に走っているであろう断層の影響を変位地形と直近の断層変化を捉える事を目的としている。

構造線の変位が地震の震源と成っているのか否か。
又、火山フロントの形成にどの様に関係しているのか否か。
こうした事も考察しながら調査を進めている。




2018年8月
柏崎−山武構造線14
この構造線は印旛沼を構成していると考察した。
地質年代史的あるいは海進などの氷期に因る影響を考慮した。
台地を手がかりに調査をした。
古墳遺跡がある事から、縄文遺跡と複合遺跡を形成している可能性を考えた。

房総風土記の丘資料館には、黒曜石や石斧なども展示してあった。
この事から、新ためて文献の検索を行った。

縄文遺跡について下記の参考文献が見つかった。
参考文献「栄町龍角寺出土土偶について」著者;安井健一、佐布環貴、武内博志1988年調査結果

又、この地域は早稲田大学も再調査をする様である。

この文献中、1926年の大野一郎氏による「縄文時代遺跡地名表の印旛郡八生村やぶむら大字龍角寺 偶然 磨石斧」という部分に注目をした。

元号が大正から昭和へ代る時であり、日本は大日本帝国憲法下で本格的な海外侵略を計画していた時代背景を考慮せざるを得なかった。

原資料を捜索したが未だ入手してはいない。
仍て、文章の全体が解らない事もあり、大野一郎氏の意図を類推するに充分な情報が得られていない事も表記しておく。

この調査は変位地形と断崖そして断層の影響による水路などを手掛りに地震等の災害を低減する目的がある。
手掛りとする文献が少ない事は残念である。




2018年11月
柏崎−山武構造線9(定点観測)
2016年2月に行った茨城県坂東市の調査結果の注目点について、下記の上に論考を重ねる。
千葉県野田市と茨城県坂東市付近は、栃木県関谷起震断層の延長上と利根川構造線と柏崎-山武構造線の結節点であると考察した。

新たなる考察点の主旨
関谷起震断層は、嘗て烏山−菅生構造線が八溝構造線の成立過程と鬼怒川流域の変遷を同時に考察した。

利根川構造線は、利根川が80,000年前からの自然環境下での変遷と人為的な東遷を考慮する必要があった。
大久保断層と太田断層そしてその延長上に太田市高林南町にある八坂神社付近を通る水路をプレートの圧力結果として考察の対象とした。
群馬県太田市



2018年12月
武蔵野台地東縁で上野台地と紹介されている箇所にある西ヶ原貝塚を調査した。
同時に、付近にある中里貝塚との関連を調査考察した。

武蔵野台地東縁崖線であり、上野台地の峡ハケについて
アイヌ語で川下を意味するpankeを語源とするハケについての記述が「東京市荒川区編;荒川区史、昭和11年出版」の210頁にある。
因みに、荒川区に峡田小学校が多くある。
峡田は、峡田氏の名称を意味する事もあるが、多くの田がハケの水を多く利用していた事を意味していると推察できる。
昭和の時代迄はハケの水を利用した製紙工場や染め物工場も多く存在していた。

都市断層として、考察の対象とした変位地形のひとつである護国寺や茗荷谷そして講談社付近の湧水について述べておく。
第2次世界大戦の時、講談社の脇に噴出していた湧水は飲料水としても利用されていたようである。
縄文遺跡のある集落に河川以外に湧水が必要であった事は既に述べていたが、今回の調査でに於ける重要な視点である。

武蔵野台地の伏流水に起源をもつ峡ハケの存在が西ヶ原貝塚が中里貝塚と密接な関係である事を示唆している。
縄文の海退に伴い自然堤防堆積物のひとつである浜堤ひんてい堆積物は河岸段丘と異なっている。

火山噴出物に起源をもつ堆積岩類と海成岩類の混合大地の広がりは多くの人々が生活出来る場所となった。
その生活を支える清流となる水源が多く存在していた事は明確なことと考察する。

嘗て、台地の上に居住していた時は海進に拠る水源の確保は海岸線に沿った崖線の中腹に水源があり、飲料水の確保が困難であったと推定される。
海退により、水源の確保は容易になったと推定する。

集落の増加と貝殻の増加は、衛生環境の悪化を招いたであろうと推定する。
結果、呪術的意味を併せ持っていた貝塚は単純に廃棄物の集積所となったと推定できる。

食料の豊穣という祈りという呪術的意味が失われて行く過程と考察する。
新たな祈りと儀式について、今後の考察対象にしてゆきたい。

近代における遺跡調査環境は、富国強兵の明治期と大正期そして現代に至るまで共通する事がある。
政府の都市計は利益社会関係を主軸とした乱開発により失敗して今日に至っている。
結果、遺跡調査が困難を極める結果を招来してしまった。

鉄道の敷設が及ぼした影響について
昭和初期に赤羽駅と田端駅を結ぶ複線化の工事に伴い築堤がされたとの記録がある。
王子駅付近の土地利用計画に伴う地盤の改変についても、今後の考察対象としたい。



2019年4月
調査対象
埼玉県水子貝塚
断層を探す手掛りとして、貝塚の調査をしてきた。
今回の調査は既知の起震断層の延長を細くする結果となった。
荒川起震断層と新河岸川断層そして深谷起震断層の平井活動領域延長を総合的に考察した。

水子貝塚の南側に推定される湧水地跡を特定する事が出来なかった。
付近に散在する湧水を利用していたと推定する。
課題は其所と集落を結ぶ通路と距離である。
この点については今後の考察対象にしたい。

湧水路について
水子貝塚は西ヶ原貝塚そして中里貝塚の調査結果を参考にする。
比較的近くにある湧水を利用していたと考察する。
大應寺付近の断崖を撮影した。
稲荷神社の位置が変わったのか?

湧水若しくは渓流と有機廃棄物でもある貝塚の峻別における衛生観念について
縄文人に取って、明確な意識化に存在していたか否かは今後の考察対象としたい。
然し乍ら、五感に拠る経験則として峻別していたと推定する。

排便に拠る糞尿の処置について
論文の検索から始め、縄文人の衛生観念変遷を考察対象としてゆきたい。


2019年4月

千葉県加曽利貝塚
東京湾北部断層と加曽利貝塚の関連について
水子貝塚の調査で課題とした湧泉個所の確認も併せて調査した。
調査結果では地下の帯水層から湧出による湧水の確認が出来なかった。
しかし、加曽利貝塚の内で南貝塚の南端に在る崖線を調査で加曽利じゅん采池公園に至ると思われる暗渠の入口を確認した。
次の機会に、県営住宅の南崖線と桜木南第2公園付近を調査する必要があると考察した。

東京湾北部断層との関連については並行する坂月川に注目した。

最終間氷期以降の最寒冷期後に始まる縄文の海進により、現在の坂月川は河川跡の流域に汽水域を経て海水域に変容した。
現在の坂月川の水源地から地下水脈を調べる為に、市街地の家並と街並の状態と井戸或は痕跡の位置を考察する必要と考える。

南貝塚南方の崖の湧出について
先ず、崖の湧出個所を現地調査する必要がある。
その後、地滑りによる圧縮亀裂か引張り亀裂かを地形調査結果と突合させて考察する事とする予定である。


2019年5月

調査対象
茨城県古河市
茨城県坂東市の調査で利根川断層の表記をしていたが、柏崎−銚子構造線を想起させる事から当時より躊躇があった。
表層構造と地下深部の構造は違っている。
この事は当然の事で有り、多くの団体そして機関が調査中である事から地下の構造線を断定する事が困難な状況にある。
此所では柏崎市から山武市に至る構造線を標榜しているが実証研究の成果を待っている。

今回の調査は栃木県関谷起震断層の延長を調べる事である。
同時に烏山−菅生構造線の調査も兼ねている。
菅生沼の上流に位置する江川そして飯沼川を遡る事になる。


2019年8月
調査対象
神社仏閣と断層の関係は、2008年7月に「埼玉県荒川断層」以来調査して来た。
参考
変位地形調査結果資料編
著者;鈴木富士男
表層観察地
埼玉県さいたま市桜区五関152番地
五関ノ稲荷神社

今回は、神社仏閣を中心に調査に着手する事にした。
茨城県鹿嶋市鹿島神宮
千葉県香取市香取神宮


2019年10
調査対象
千葉県野田市
定点観測
台風15号の影響を調査した。
目視では、この台風の影響を知る事は出来なかった。

これ迄の調査は、断層とされていない地域であっても既知の断層の延長上や地震の震度分布や震央そしてプレートに拠る歪みの有無を調べる事にあった。
又、火山の噴火による影響と火山フロントの分布を手掛かりとして考察してきた。
現地調査では、道路或いは山の斜面を走る亀裂や補修跡が発見することが出来た。

利根川の東遷について、野田市にある関宿城博物館付近と関宿城跡付近の踏査を行ってきたが土地利用の改変が著しく困難を極めた。
そこで、次の幾つかの視点で調査する事にした。

地理上の自然環境変化として、関谷断層の調査過程で知見と予測により箒川と那珂川そして大蛇尾川による氾濫域に注目した。
栃木県関谷断層

今回の調査でも同様に、氾濫域と河川の水制に於ける自然堤防の思想に着目点をおいた。

利根川の東遷において、施政者の流路改変の目的と住民の水利における利害社会関係と共益社会関係に着目した。
古文書に見られる農民の普請申し出と幕府の思惑の共通点と利益相反点そして妥協点などである。

近年に於いて、河川法の改定により大規模堤防の造成と自然堤防域そして輪中の堤内が再開発された。
今回の踏査に於いて、明確な水路の変遷跡を特定するに至らなかった。

想定外という、想定した人々の知識を超えた自然災害の影響を考慮すると、再評価と再点検により想定を変える必要があると考える。
巨大な19号台風の本州接近を間近に控え、どのような影響を受けるのかが心配である。


2019年11
流域調査
栃木県思川流域調査

道の駅思川
関谷断層の延長上で、思川を調査する事にした。

栃木県小山市立寒川小学校付近で永野川と合流している巴波川に着目した。
流域を辿って行くと栃木県栃木市戸賀町中4495にある水神社付近で思川にたどり着いた。
この付近は、表層的に約70,000年前から18,000年の間に形成された後期更新世低位段丘の境になっている。

道の駅思川は、地史学の視点から18,000年前から形成された後期更新世完新世堆積物による地質であると思われる。
巴波川は、旧思川との文献も散見されるように80,000年前から70,000年前にかけて現在の古河付近まで上昇した海面に流入していたようである。

巴波川は西方町本城水神社付近から渡良瀬川と合流する流路である。
栃木県小山市は蛇行する思川流域の氾濫域であったようである。

間々田八幡公園
表層的に約70,000年前から18,000年の間に形成された後期更新世低位段丘である。


2019年12
調査対象
菅生沼は定点観測の場所である。
菅生沼ふれあい橋とあすなろ橋は水面下の地層変位を反映する観測機器の役割を果たすと考える。

観測地点としては少し上流が理想的であるが、利便性の問題からこの地点を選んだ。
この事は若干の問題を残すが、諸般の事情により現状でのやむを得ない処置である。

南北の変位は、栃木県関谷起震断層の延長を調べる事になると考察する。
これは、同時に烏山−菅生構造線の調査も兼ねている。
菅生沼の上流に位置する江川そして飯沼川を遡る事になる。

東西の変位は、柏崎−山武構造線の変位を調べる事になると考察する。

今回の観測、橋は北側の欄干は泥に塗れていた。
先般の台風による泥流の跡と推察する。
南側の欄干は比較的泥にまみれていない。
この事は、橋を泥流が覆ったのでは無くて泥の高波が橋の北側に衝突した結果と思われる。
橋桁の隙間には流されてきた草などが詰まっていた。

魚類の消息は確認できなかった。
又、亀の消息も確認出来なかった。
若干の波紋を見る事が出来たが、姿が見えず魚類なのか亀なのを判別するに至らなかった。

調査時点で、水位は以前と変わらないが流れが速くなっていた。
西仁連川、東仁連川、飯沼川、江川の流路が変わった可能性がある。

本日早朝の坂東市を震央とした地震が、その前の夜半に起きた東京湾を震源とする地震と関連が有るのか否か。
注視してゆきたい。
流路に変化があった場合、台風の影響と考えていたが再考する余地があるかもしれない。

宮沢賢治
ミュージアムパーク茨城県自然博物館では、『宮沢賢治と自然の世界』を主題とした企画展が展示されていた。
宮沢賢治と自然そして心象の関係を展示したものである。

宮沢賢治記念会(一般財団法人宮沢賢治記念会)の編集と発行による「修羅はよみがえった」という作品を参考にして考察した。
展示会では、岩石と心象的作品の関係について
単なる物として実在する鉱物が、宮沢賢治という人物を介して物語の中で表象される事になる。

現実に実在する鉱物という物質を、心象として結実した作品という存在に関連づけをして展示する事の意義と問題について
宮沢賢治が実在的表現者として生を全うし後世に大きな足跡を残した事を考察すと、この展示会が子供の年齢層別により与える影響を考慮した展示とした方法も必要かと思った。

南方熊楠と宮沢賢治、共に専門分野で深い研究を残しながら同時に博物学の知識を有している事に感銘を受ける。

柳田國男と折口信夫(釈迢空)、二人とも民俗学の分野で足跡を残した人物である。
民俗学上の研究手法は異なっていたが、共に多大な影響を後世に残している。
その手法の共通点と相違そして意義或は問題を想起させられた。



2019年12月
千葉県野田市
千葉県野田市
定点観測
関宿城址
前回の調査は、関宿城博物館学芸員の方から御指導頂いた事もあり貴重な体験をする事ができた。
今回の調査は、スーパー堤防の築堤により失われた関宿城址の痕跡を見つける事にあった。

台風19号の影響についても調査した

河川敷は氾濫域となり明確な形で嘗ての関宿城礎石等の痕跡を見いだす事に困難が伴った。


利根川の東遷について、野田市にある関宿城博物館付近と関宿城跡付近の踏査を行ってきたが土地利用の改変が著しく困難を極めた。
そこで、次の幾つかの視点で調査する事にした。

地理上の自然環境変化として、関谷断層の調査過程で知見と予測により箒川と那珂川そして大蛇尾川による氾濫域に注目した。
栃木県関谷断層

今回の調査は氾濫域と河川の水制に於ける自然堤防の思想に着目点をおいた。

利根川の東遷において、施政者の流路改変の目的と住民の水利における利害社会関係と共益社会関係に着目した。
古文書に見られる農民の普請申し出と幕府の思惑の共通点と利益相反点そして妥協点などである。

近年に於いて、河川法の改定により大規模堤防の造成と自然堤防域そして輪中の堤内が再開発された。

今回の踏査に於いて、明確な水路の変遷跡を幾つかの文献資料を比較する事により多くの知見を得る事ができた。

変位地形の机上再現と水路の痕跡そして断層の有無について
新たに常陸川を中心とする流域と変遷という課題が生まれた。

嘗て関宿に至る利根川の東遷を了解した上で、利根川構造線という表現を使わせて頂いた。
結果、柏崎−山武構造線という知見に至った。

さらに、地政学的に関宿における分散城下町という文化的影響の側面が大きい事を知る事となった。


参考文献
『「分散城下町の成立とその統合原理」著者;川名禎、2008年歴史地理学』



2020年3月
調査対象
柏崎-山武構造線9
飯沼川と菅生沼そして山武市井之内海水浴場へと続く水路を検証する。
新型コロナウィルスによる爆発的感染の影響で人気も無く菅生沼が静寂の限りであった。

守谷城址
鬼怒川と小貝川に挟まれた土地である。
北側小貝川方向に位置する守谷沼付近の地質は15万年前から7万年前と古い。
他方、南に位置する守谷城本丸付近の地質は7万年前から1万8千年前と比較的に新しい。
鬼怒川の流路を考察する際に、この事は考慮する必要があると考えた。
小貝川の流路を考察する際に於いても又、鬼怒川と小貝川そして旧常陸川(利根川)に関連を考察する際も重要な意味を持つであろう。
福島原子力発電所事故の為、放射能汚染により立入禁止区域があった。

中妻貝塚
貝塚と稲荷神社そして集会所という三つの分析にしての重要な要因が揃っている。
地質は7万年前から1万8千年前となっている。
小貝川沿いに守谷城址へと続く地質である。


2020年4月
調査対象
関宿城址
利根川東遷事業と江戸川の関連に着目した。
動機の解明を考察した。

参考文献
「江戸川上流だより 江戸川誕生の歴史について」
国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所江戸川上流出張所発行 2010年8月23日「第14号」

「近世初頭の河川改修と浅間山噴火の影響」
利根川と人間社会–2 新潟大学工学部(河川工学) 大熊孝 著


2020年6月

調査対象
東金野井貝塚
利根川東遷事業と江戸川の関連に着目した。
江戸川は旧利根川であった。

参考文献
『千葉県文化財センター研究紀要19』
財団法人千葉県文化財センター 平成11年3月

考察
深谷断層と元荒川断層そして綾瀬川断層は、群馬県高崎市新町付近を通過していた可能性がある利根川断層の巨大な罅割れであると考察する。
利根川は、構造線に沿う形で流れて埼玉県久喜市付近と千葉県関宿で氾濫原を残した状態で常陸川へ流路を変えた。
嘗ての常陸川は、飯沼川と鬼怒川そして小貝川を巻き込み印西市付近で流路をかえた。
地史的に見ると、表層の変位は部分的に将監川ショウケンガワと上野東京ラインに沿う形で成田空港方向へ向かっていた可能性がある。
それは、柏崎–山武構造線へと向かう。

栗山川は、構造線に沿う形で千葉県山武郡芝山町高谷付近で一部匝瑳市の台地縁を流れていると考察する。
千葉県山武郡横芝光町の星宮神社と水神社そして愛宕神社付近である。


2021年2月

調査対象
東京都本郷台地と谷田川関連
平野部に於ける震源は幾つかの要因に分類可能である。

1、既に知られている起震断層付近の震源。
2、断層の可能性があり、地下構造を調査中の震源。
3、震央付近に河川や湖沼がある震源。

震央付近に河川や湖沼がある地震が多くある。
震源と震央の震度は一致しない事が多い。
地下構造が関係していると容易に考察できる。
表層構造は、震央付近の地層成立過程が関わっている。
plate tectonicsプレートテクトニクス理論だけでは説明がつかない事例である。
東日本大地震に誘発されたとされる井戸沢起震断層では、表層構造による地震が住民に被害を与えた。
震央付近に河川湖沼がある地形は、此れまでの現地踏査において地質的な境界線や境界面が存在している場所でもあった。

コロナ禍であるが、地震の多発に鑑みて文部科学省地震調査研究推進本部の資料を参考に調査をする事にした。
台地の形成過程と河川湖沼に着目して外観の現地踏査をする事にした。

武蔵野台地
本郷台地(本郷台)
上野台地(上野台)
藍染川(暗渠)
谷田川(暗渠)
下末吉海進
縄文海進
貝塚
これらを知見を軸に台地の形成過程を表層そして地下構造に着目してを調査した。
断層に沿った主要水路を調査してきたが、交差するように台地の縁を流れる水路があった。
この交差水路は台地の形成過程と関わりがあると考察した。
要因として、変位地形と開削(自然流路改変)そして地質境界(面と線)があると考察した。
定点による経過観察をする必要がある。




調査対象
2021年2月
東京都上野台地と石神井川と音無川そして藍染川関連
平野部に於ける震源は幾つかの要因に分類可能である。

1、既に知られている起震断層付近の震源。
2、断層の可能性があり、地下構造を調査中の震源。
3、震央付近に河川や湖沼がある震源。

震央付近に河川や湖沼がある地震が多くある。
震源と震央の震度は一致しない事が多い。
地下構造が関係していると容易に考察できる。
表層構造は、震央付近の地層成立過程が関わっている。
plate tectonicsプレートテクトニクス理論だけでは説明がつかない事例である。
東日本大地震に誘発されたとされる井戸沢起震断層では、表層構造による地震が住民に被害を与えた。
震央付近に河川湖沼がある地形は、此れまでの現地踏査において地質的な境界線や境界面が存在している場所でもあった。

コロナ禍であるが、地震の多発に鑑みて文部科学省地震調査研究推進本部の資料を参考に調査をする事にした。
台地の形成過程と河川湖沼に着目して外観の現地踏査をする事にした。

都市社会学と行動様態
非常事態宣言下の影響か、繁華街付近を除いて人々の動きは少ない。
交通を遮断もしくは制限をした新築工事と水道管交換(共同溝設置)工事の多さである。
共同溝は電設埋設の下準備と考えられる。

工事現場に特徴的なのは、埼玉県ナンバーの中型自動車(マイクロバス)とマスクをしていない工事人が散見できた事である。
東京都内の建設業者だけでは足りなかったようである。
オリンピック需要を見込んだ建設バブルである。
資金源は日本銀行(政府系金融機関)の国債発行による都市銀行の債務バブルである。
消費を軸に考察した場合、実体経済の需要見込みで建築を先行させた結果である。
全ては、オリンピックの開催される事に支えられている。

人々(常民)の生活は、広義な意味で実態経済自体を表す。
拠って、現状はバブルという政府主導の賭博状態を強いられていると考察する。


武蔵野台地
上野台地(上野台)
石神井川
音無川

藍染川(暗渠)
下末吉海進
縄文海進
貝塚
これらを知見を軸に台地の形成過程を表層そして地下構造に着目してを調査した。
断層に沿った主要水路を調査してきたが、交差するように台地の縁を流れる水路があった。
この交差水路は台地の形成過程と関わりがあると考察した。
要因として、変位地形と開削(自然流路改変)そして地質境界(面と線)があると考察した。
定点による経過観察をする必要がある。




2021年3月
定点観測
柏崎~山武構造線11
関宿藩の本丸城があったのは下総地方の葛飾郡であった。
現利根川(常陸川)の対岸の領地は下総地方の猿島郡であった。
今回は、近年に造成された所謂スーパー堤防城に建設された関宿博物館付近の水路(暗渠)を辿り(現)利根川に至る道筋を辿った。

暗渠の排水枡に沿って、カラスノエンドウと思われる植物の群落が人工的要因との相互作用によって存在している。
群落に沿って歩むとたどり着いた常陸川(現利根川)の川岸に船着場があった。
其処は茨城県境町の標識が立っている千葉県との境界線付近である。

対岸の茨城県境町の船着場とは直線的出なく左右にずれている。
船の運航において、流路の関係でその様に成ったのか考察した。
船着場の変遷と右横ずれ断層の可能性を、年代と常陸川の成立過程を考慮して文献を調べた。

是迄、左岸と右岸結ぶ不自然な橋の架け方そして橋台付近の損壊と補修を散見してきた。
活断層とされた変位地形の踏査による箇所で、 こうした事例に遭遇した事も多い。

現在もスーパー堤防の工事は続いている。
地形は改変されている。


2021年6月
調査対象
都市形成

旧来の街道設置と都市計画について
活断層沿いに在る古い街並は、震災の際に甚大な被害を受ける可能性に対処する必要がある。
城下町を始めとする都市計画は、こうした旧来の宿場町を含む町造りが活断層被害を受けた事の可否を考慮したか疑問である。

都市東京と都市大阪そして都市京都を始めとする多くの地方都市が活断層への行政による警鐘を受けている。

明治時代以降は政治と行政機関に拠らない都市形成が多くある。
公道にある道の駅と高速道路の休憩地は、遠い将来の街並形成と都市形成の判断材料になる可能性もある。
結果として、現代そして将来の都市発展は多くの公共道路そして高速道路の発達に依存してゆく可能性を秘めている。

街形成と都市形成は、災害などを回避できる条件で住民の意思形成そして同意を基礎に行なうべきと考察する。
又、予想外の災害が発生した場合に対処する必要と緊急体制を想定して置くべきと考える。

資料を参考すると深谷活断層に沿って街道が在る事も理解できる。
現在、その街道沿いの宿場町は変容を遂げて繁栄している。
其処で暮らす常民に拠って、人々が営む事つまり経済である。
それが生活様式が生活様式である。
コロナ禍で新しい生活様式などと言われているが概念実証がなく単純でも無い。

都市東京や都市大阪そして都市京都が大地震に因る壊滅的損壊に至った場合について
旧来の宿場町のような過程を辿れるのかが課題であると考察する。

自然災害が無くとも高層ビルが近未来に辿る変異と近隣に及ぼす影響に対する都市計画案を示すべきである。
現在、旧建築基準法の基で建てられた共同住宅や中高層建築物は老朽化を辿り始めている事を認識しなければならない。

未来の町と都市に於ける街造りを考察する目的で今後の調査を進める。






注意事項
医療機関名や大学名及び住所そして電話番号等は調査時点のものです。
ご了承ください。
緯度と経度は再調査の為の資料であり、必ずしも正確な位置を示してはいません。

リンク

変位地形調査結果

医学社会学



参考資料として利用させていただいております。

国立研究開発法人産業技術総合研究所




ただいま調査中
2015



レッサーパンダ


ハシビロコウ






IMG_1664 - バージョン 2

IMG_1685


不忍池


ボート場付近 スッポン