GPS
N35°45’21.5”
E139°41’33.8”

105-2

1991



2003





1991

エリア
105

住居
板橋区常盤台2丁目

付近の駅
日比谷線
南千住

出身地


性別


年齢
40

家族構成
大人3人
子供0人

居住


付近の家並
木造切妻造
鉄筋建雑居ビル

付近の河川
隅田川

付近の総合病院
私立学校教職員組合下谷病院
関川総合病院


居住環境
この付近は日光街道に面していながら繁華街にならなかったようである。
北千住はかつての宿場町として栄えてこんにちに至った。
対して、北千住と三ノ輪を結ぶ線上に位置するこの辺りは、かつての田畑や空き地が有り閑散としている。

第二時世界大戦後、町家は増えた。
だが、街並は雑然としており、住宅の質もけっして上等でない。

その後の街の変容は下町の猥雑さを引きづったままである。
住宅街なのか商店街なのか歓楽街なのか、判然としないままで今日に至っている。

一見すると、この町もまた街としての纏まりに欠けているようである。
しかし、これが下町独特の纏まり方なのかもしれない。


医療環境
家族構成は本人と親そして夫の3人暮らしと推察される。

私立学校教職員共済組合下谷病院には日比谷線三ノ輪駅から乗り換えることなくゆく事ができる。

彼女は生真面目で真摯に物を考える性格であり、食生活はそうした性格を反映した保守的な質素なものである。

この家族構成で老親若しくは夫が入院した時、看病の負担の総ては彼女にくる事が予想される。
何故ならば、日本の家族社会関係での女性の位置は家父長的支配から脱却しておらず、特にこうした保守的な家庭ではその傾向が強いからである。

他方、彼女が入院した時は夫や老親からの看護は期待できず、病院に総てを委ねる結果を生むのである。

これまで家族による病院訪問看護を特定しないできた。
以下に主な具体的例示をする。
下着の洗濯や買い替えなど身の回りの世話がある。
患者の心を支える為の訪問がある。

以降も同様の主旨で使用する。

この付近は雑然としており地域的つながりの少ない所である。
しかし、比較的に住宅が密集しており、彼女が病院を訪問して帰宅する際の危険は少ないであろう。


2008

医学社会学本論の執筆準備と併行して断層そしてSUIROの調査を行っている。
秋が深まり、オートバイによる現地踏査は耐寒装備で苦労している。
出発地の東京の気温と山間部の現場の気温の差が大き過ぎるからである。

最近、巷間で診療に関わる話題が取り上げられている。
歓迎すべき事である。
だが、その基礎となっている医学的知見にまで及ぶ議論となっていないようである。
医師の専門的知見と一般人の知識の差が大き過ぎるからである。

医師の診断はある症状に対して幾つもの病気を疑い、検査により絞り込みながら確定診断に至るのである。
他方、一般人の医学知識は広さと深さにおいて専門家のそれに及ばない。
だが、この事により一般人が専門家集団の知見や研究に関与するのを排除するべきでない。

一般人に求められるのは医学知識を学ぶ機会と発言できる機会を創る事である。

診察と治療そして薬理効果に至る議論を大衆的に行う事が民主社会の成熟といえるだろう。
医学的知見の大衆化を行う為に、マスメディアの果たす役割は非常に重い。