
哲学的な意味において、あらゆる概念は社会的経験の結果において獲得され、他者との共感や理解の共有の為に理論化され構成されたものである。
社会学における諸概念は、諸学派における体系のなかにおいてのみ正当な位置を占め、その限りにおいて社会分析の有効な手段となっていると言える。
従って、自然科学のような意味において、比較的普遍的な意味を持つ概念というものがあるかというと、極めて難しいと言わざるを得ない。
こうした差異は自然科学が繰り返し実験する事が極限状態を除いて可能な事であるのに対し、社会科学が一過性の歴史を持つ非可逆的な性格を取り扱う事に起因するからである。
従って、社会学上の概念は具体的諸実体とその関係を内包しているにも関わらず、常に未知の諸実体とその関係の関与の可能性の余地を残したものであるといえる。
この意味で、既知の諸概念を内包した 意識構造と 実生活構造という抽象概念の使用は社会を形成するひとと人の関係を、必要最低限の生存条件を満たした実生活の構造と、平行して営まれる言語を媒介に発達した人間関係の構造の二つに大きく分ける点で便利である。
問題意識と価値判断
あらゆる問題の発生は分析する主体が意識的にせよ無自覚的にせよ、ある事象に対して問題視するという一定の価値判断を前提に、それらの社会的諸現象の分析をする事に起因するのである。
あらゆる分野での解析において分析主体の価値判断を排除する事は不可能であり、問題の所在を判断する時から分析主体の価値判断は不可避的に存在するのである。
従って、特に社会学者は多くの情報に接し、その意味を理解して自ら構築した体系の中で位置付けるという一連の作業で判断をするが、自らの価値判断がどのような事にあるのかを明らかにし、また、常にそのことを検証していく作業を余儀なくされるのである。
実生活構造概念と 意識構造
ある社会における 意識構造と 実生活構造は人間の主体的営みとしての文化諸領域での活動と経済諸領域での活動により不断に再生産され、その時代の生産様式の実体として存在している。
従って、ひとつの生産様式での 意識構造と 実生活構造は前の時代と次の時代の狭間の変革期の時に、その変革期に存在する人々の両構造の領域におけるそれぞれの営みの結果として同時発生する。
社会において生存に関わる分野と文化に関わる分野は、その分析において建築物構造の例えから下部構造と 上部構造という概念に象徴されるような対の形で表現することが多い。
しかし、実生活である経済構造が一義的に 意識構造を規定するという考えに基づく土台としての 下部構造とその上に築かれる 上部構造といった概念構成が誤りであることは容易に理解される事と思う。
いわゆる「土台と 上部構造」という表現は、一般大衆の意識が政治経済改革を指導した人々の目的意識と異なった変化を遂げた事に対して、施政者が結果論的表現あるいは支配論的表現をしたに過ぎない。
あらゆる変革において個人的哲学や社会の思想、そして、宗教のもつ人間の主体的行動のみがその社会関係と実生活を変えるのである。
経済的諸条件の醸成を無視した精神論は大衆の支持を得る事はできない。しかし、そうした経済的条件を準備するのも意志であり、経済構造の斬新的変革を促すのも意志の力である。
社会構造における 意識構造というのは、制度化された政府とか自治体という 実生活構造を対象に概念規定してはならない。
意識構造は芸術や言語、哲学、思想、習俗等であり、政府や自治体そしてあらゆる組織や共同体という実体の存続を支える人々の意識の紐帯を意味するのである。