

調査日
1991.7.12
2001.9.25
付近の駅
1991
東部伊勢崎線
竹の塚
東武バス
古千谷
2006
東部伊勢崎線
竹の塚
東部バス
聖一の橋
出身地
略
性別
女
年齢
40代
家族構成
大人2人
子供2人
居住
略
付近の家並
1991
木造2階建
2001
木造2階建
付近の河川
毛長川
新芝川
1991
付近の総合病院
日常歩行範囲
2KM以内の総合病院
(無)
2005
付近の病院
井口病院
冤田第一病院
井上病院
足立十全病院
大内病院
水野病院
慈英会病院
アヤメ病院
西新井病院
友愛病院
苑田第二病院
東京足立病院
白石病院
住居
足立区西伊興4丁目
GPS
N35°47′52″
E139°48′56″
居住環境
1991
この付近は新興住宅街である。
西に川口市があり、東に草加市がある。
この辺りは道路工事が盛んに行われており、かつての農道が生活道路に変わろうとしている様子が窺える所でもあるようだ。
東伊予町4丁目では古紙の集積所に反対する立て看板などがあった。住宅地との共存ははたして難しい事なのか。この付近では外国人労働者の姿が多く見られる。
7月半ばの昼頃であるにも関わらず人影は疎らであり、この街はまぎれもなく東京の端ずれを感じさせるのに十分な場所である。
2006 この付近の街の景観はあまり変化が見られない。切り妻造りの建物も多く、所得階層としても決して裕福ではないと推察される。 また、車道と歩道の分離や街路樹の植樹等の点に置いて、道路の整備も遅れている。
大きな唯一の変化は付近のモノレール舎人線の工事が進んでいる事である。
この交通機関の完成が付近の生活環境にどのような影響を及ぼすか。
大きくは二つの要因によるだろう。ひとつは人々がこの地に寄せる思いである。またひとつは医衣食住という生活環境の充実度である。
医療環境
1991
足立区における総合病院は博慈会記念総合病院と尾竹橋病院そして医療法人社団成和会西新井病院の3ケ所である。 医療機関は10床以下の有床診療所や病院を混在して示している。竹の塚駅付近にはそうした診療所が存在している。
しかし、こうした診療所を考察の対象とする事は10床以下の有床診療所を包摂する結果となり、入院時に置ける家族社会関係論の展開という本旨からして誤った結果を生じると考えて捨象する事とした。 私鉄、バス、徒歩と、彼女の通勤経路沿いにおける最も近い総合病院は医療法人社団成和会西新井病院足立区西新井本町5ー7ー14である。 この病院の最寄り駅は東武大師線大師前であり東部伊勢崎線西新井駅の支線 1駅目1KMである。西新井駅からは約2KMであり、環七通りの五中裏から約 500M 北上した付近にある。 本来、患者の入院先を決定するのは本人である患者自身である。
しかし、健常者である周囲の意向によって決定される事の方が多い。 通勤時間が30分余りと、比較的短いにも関わらず彼女の生活は仕事と家事に追われている毎日である。
こうした状況下でどのような選択をするか。途中下車を強いられても病人を見舞うのか。
或いは日常生活の延長として淡々と見舞いをしてしまうのか。 何れにせよ、彼女にとって、家族との日常生活が全てである。 この付近は工場の終業と共に閑散としてしまう所である。交通の便から考察すると彼女が病院を訪問して帰宅するにはタクシーなどを利用するしかない。その経済的負担は少なくないだろう。
2006
総合病院について、現在は医療法による厳密な規定は無い。
2001.3.1施行による療養病床を有する医療機関を含めると病院数は38カ所である。(2001現在)
この大きな変化は足立区の生活基盤が大きく変化した結果である。どのような構造変化であるかは主催な調査を要するため、ここでの結論を避けたい。
また、診療所の数も42カ所ある事から、都市としての実生活構造における医衣食住が定着した可能性は否定できないだろう。 調査対象である足立区伊興4丁目を中心とした半径2キロメートル付近に限定して調査した。
一般病床を主として有した病院を対象に計測した場合、その数は8に上った。総合病院という事に拘らなければ長期入院の対象となる病院の数は増える。
もちろん診療所を加えるともっと増大するが、一般病床を主とした長期入院の対象にしぼってゆきたい。
次のクラスター分析以降もこのスタンスで行く事を述べておきたい。
参照資料を列記しておいたが、医療機関はあるが、車やバイクや自転車そして徒歩等、交通手段が限定されている。
治安環境を考慮すると、徒歩で歩くのは現実的な選択とは考えられない。夜間での調査を実施すれば、対象となる医療機関はもっと絞られるだろう。