

付近の駅
1991
東武伊勢崎線
常磐線
千代田線
日比谷線
北千住
都バス
端44
王45
北47
草43
千住2
2006
東武伊勢崎線
常磐線
千代田線
日比谷線
北千住
都バス
端44
王45
北47
出身地
略
性別
男
年齢
50代
家族構成
大人3人
子供0人
居住
略
付近の家並
1991
木造2階建
鉄筋建雑居ビル
2001
鉄筋建
木造2階建
付近の河川
隅田川
荒川
1991
付近の総合病院
尾竹橋病院
2005
付近の病院
太田病院
下井病院
綾瀬病院
足立東部病院
梅田病院
井出病院
井口病院
内田病院
柳原病院
愛里病院
すずき病院
桜会病院
勝楽堂病院
足立共済病院
柳原リハビリテーション病院
南千住病院
住居
足立区千住4丁目
GPS
N35°46′24″
E139°47′15″
居住環境
1991
この地は江戸時代から宿場町として栄えた。
近年、隣県が東京の郊外となり乗り換えする人々が増すにつれて東京の主要ターミナル駅の一つとなった。
しかし、墨田 川と荒 川に挟まれて繁華街が広がってゆけないという地理的条件と繁華街と繁華街を結ぶ山手線のループ上から外れている事により古い市街地が広がっている。
巨大資本や再開発による小売市場の集約化も遅れている。この理由から駅の乗降客が多いにも関わらず町の変容は鈍い。
20〜30年前の池袋 周辺を彷彿とさせる趣がある。だが、駅近くの住宅街に迫り来る鉄骨筋建のビルはこの町の変容の方向を予期させるものを感じさせた。
発展という言葉の意味を省みて、この街の別な表情を見る見ることにした。
神社や寺の存在はこの町の昔ながらの面影を留めており、この街の歴史の厚さと発展の後を感じるのである。
ここで、これまで敢えて発展という表現を意識的に避けてきた事の意味を明らかにしておきたい。
それは現象として現れた都市機能の分化という単なる事実として理解する。
資本の集積による都市の機能的な合理化である、住宅地域と商業地域あるいは工業地域といった分化の過程や、流通業務地域と高度情報化地域といった都市計画上の区分や法の規制をもって発展とする事に対する疑問がある。
それは昔ながらの面影を残す街角がもっていた優しさや細やかさが失われてゆく過程でもある。
こうした事態に発展という言葉を使うのを躊躇したからである。何故ならば、経済構造と発展という思想の関係は次のように考えられのである。
産業構造と流通構造そして金融構造における資本の効率的な運用は、経営という人為的な営みが起点である。しかし、その思想の中心軸は資本主義経済構造とそれを支える思想的本質から自由ではない。
民主主義国家における民意の反映は法的な諸規制としても現れる。しかし、現実の経済活動は利益追求の思想を基点として発展しており、都市計画などの法的規制は後手に回り、大まかな実効性しか意味をなしていない。
東京湾の埋立地における実態を例に取るならば、経済活動が法的規制を充足していない事を立証している。
東京港の臨港地区は公有水面埋立法や港湾法の規制を受けている。しかし、その土地利用の実情において土地投機の対象としてされているとしか理解できない事例が多く見られる事である。
それらの事例に該当する諸企業が自社の本来の事業である流通業と異なる土地投機的事業に着手したのは、極めて低利な公的資本や金融資本を利用する事が可能であった事に起因している。
いずれ流通業務地域が情報産業や金融産業の拠点としての高度情報化地域や住宅地域へと法的規制が変わるであろう事を予見できた等の理由によるものと思われる。
ここで明らかに解る事は二つある。
ひとつは経営という人為的営みが存在するにも関わらず、利益追求が最大目標となっている。
このため、法による規制というものが民主主義国家における民意の反映であるであることが忘れ去られている。
その結果、経営理念自体が無意味なものとなって人為的営みであった筈の経営の自律性がそうでなくなっている事である。
この現象は利益追求のみの経営が人為的に見えても自然史的に捉えることができる事を意味する。従って、自然科学のような法則性があるとして発展という表現が可能となるのであろう。
人々の制御が効く街造りこそが発展の名に相応しいと言えるのではないだろうか。また、ひとつは民主主義国家における民意の反映である法的規制は経済活動に対して従属的となるという事。
民意は企業や業界に対して従属的位置に押しやられるという事。
発展という表現は前提とした思想的背景や社会的背景ががある。その上で発展という概念を使いたい。
2006
大規模店舗が展開した結果、街は多くの集客力を持った。
だが、一歩路地に入ると防犯に関する看板が目立ち、この街の治安が悪化してきている事が伺えた。商業畜と住宅畜の共存は多くの課題を提供しているように思われる。
医療環境
1991
家族構成は本人と妻そして成人した子供の3人であると推察される。また、尾竹橋病院には端44で行くのが最短の方法である。
彼は医学的知識をある程度持っており、宗教心もあり人生に真摯に向き合っている。
思想的は保守的であり、夕食の買い物等もした事が殆ど無いようである。
子供が長期入院する事態を想定した場合、妻が夕食の買い物するなどしてこれまでの生活に近い状態を維持することは可能であると思われる。しかし、妻が長期入院した場合に彼の生活習慣は大きく変わる事になる。
成人した子供の様子が判らないので断定は出来ないが、彼が勤め帰りに妻の病院を訪れてから夕食の支度をする余裕は殆ど無いと推定される。
病院訪問を休日に限定して勤め先から直接家に帰ったと仮定すると、彼は北千住の駅付近で買い物をする事になる。
ここは大きなスーパーストアが幾つもあり小売店も多く時間的な負担が少ない。むしろ、買い物をする事自体にストレスを感じると思われる。
2006
人は変わるものである。その手助けをするのが知識である。
彼が生きた知識、つまり自らをかえてでも生き抜く力を得る事ができる知識を身につけていたかどうかがすべての鍵となっていただろう。