

付近の駅
1991
総武線
両国
錦糸町
都営バス
草28
平23乙
業10
錦27乙
緑3丁目
2006
総武線
半蔵門線
錦糸町
総武本線
総武線
大江戸線
両国
東武伊勢佐木線
業平橋
京成押上線
浅草線
押上
業10
両28
錦27
緑3丁目
出身地
略
性別
男
年齢
40代
家族構成
大人3人
子供0人
居住
略
付近の家並
1991
木造建切り妻造
鉄筋建併用住宅
2002
鉄骨筋建共同住宅
鉄筋建併用住宅
鉄骨建併用住宅
付近の河川
堅川
大横川
1991 付近の総合病院
賛育会病院 東京都立墨東病院 同愛記念病院
2005
付近の病院
田島病院
墨東病院
同愛記念病院
山田記念病院
賛育会病院
健生堂病院
あそか病院
柳橋病院
住居
墨田区緑3丁目
GPS
N35°41′29″
E139°48′29″
居住環境
1991 この付近は小さな工場と居宅が混在する場所であり、町工場が軒を並べる街である。
かつては粋筋の街として知られたこの辺りも、わずかに三味線の音を残しているばかりである。
その風情は夜に現れるのであろうか。昼の顔はどこまでも無表情である。 ひとつの街がこれまで持っていた顔を捨てて新しい顔を持つ時、その街が持っていた味わいは無くなり無味乾燥な感じになってしまうようである。
2002
かつては沿道にあった街路樹もなくなっていた。京葉道路と称されるこの街道は東京都千葉を結ぶ主要一般道路である。
多分、街路樹の落葉の処理などが面倒になった清だろうか。災害時に、主要避難路として街路樹が可燃物として邪魔であると考えた末だろうか。
何れにせよ、膨大な可燃物自動車がひしめき行き交う街道は殺風景な雰囲気を醸しだしている。
この道路の整備によって、沿道の街は景観的にまっぷたつに分けられる事態になった。
撮影時期は11月の初めで凌ぎ易かった。夏の炎天下、ここを歩くのは体力を消耗するだろう。火急な用がない限り、横断道路まで歩き引き返して向こう側へ行くのは遠慮したい、
2007
縦横にはしる幹線道路は街を寸断化しているようだ。通過するには便利な状態である。
かつては鉄道が利便性と引き換えに街を分断した。道路による分断はその利便性を考慮しても引き合うものなのだろうか。
この街の変化の方向性が道路によって制限されているように思われてならない。
医療環境
1991 家族構成は親と本人そして妻であると推察される。
居住地から総合病院までは何れも徒歩で行ける距離である。
総合病院への最寄り駅は賛育会病院と墨東病院が錦糸町駅である。同愛記念病院は両国駅が近い。 彼は医療に対する一般的知識は持っている。しかし、医師に対する姿勢は受動的である。
同時に、納得する説明を求めるなど複雑な態度を有している。 彼の家族の一人が長期入院する事態が生じたとしても、病院と自宅の位置関係、家族構成、そして彼の生活習慣から、実生活に大きな影響は無いだろう。
2002
街の分断は、単純に、付近の病院が歩行可能な範囲2キロメートルに位置している事にならない。
作業的には付近の病院として提示する。実際にそこを利用する気になるか否かは別な問題である。多くの場合、夜間の歩道橋は人気も無く暗く危険である。
2007
幹線道路の下にある共同溝の存在を承知した上で提案したい。一般道の幹線道路は、地下化するか高架化にして生活空間を回復し街の一体化と再生を計画すべきである。
場合よっては、バイパス道路の新設や既存道路の部分的閉鎖も考慮すべきである。
医療機関の適正配置計は、道路など周辺環境の変更を同時に提案する必要があるだろう。
交通脳の整備や輻輳化によって医療機関の選択範囲は広がった。しかし、敢えて歩行範囲可能圏の2キロ以内に限定する事とした。
当然の帰結として、台東区の病院と江東区の病院の一部を含む事となる。