035-1




付近の駅
1991
京成押上線
四つ木

2006
京成押上線
四つ木
京成バス
新小51
新小52
新小52

出身地


性別


年齢
40

家族構成
大人2人
子供0人

居住


付近の家並
1991
木造2階建切り妻造

2006
木造2階建切り妻造
鉄骨建共同住宅
鉄筋建共同住宅
鉄骨筋建併用住宅

付近の河川
荒川
綾瀬川
西井堀
東井堀
中川

1991 付近の総合病院
東京慈恵 医科大学附属青戸病院

2005
付近の病院
東立病院
新葛飾病院
堀切中央病院
東京慈恵会医科大学附属青戸病院
佐久間病院
東京松永病院
坂本病院
平成立石病院
住居
葛飾区四つ木4丁目

GPS
N35°44′02″
E139°50′14”

居住環境
1991
 水戸街道と平和橋通りに囲まれたこの地域は表通りの喧騒にも関わらず、古くから開けた街道沿いにある街らしく落ち着いた趣を持っている。
 駅の裏手にあたる道沿いは商店が立ち並んで行き交う人も多く、一年中立っている風の大安売りの幟がある。
 改修中にも見えない仮設建物風の四つ木駅は古く寂れている。
 西武鉄道が駅を中心とした開発で収益を上げている事と比較すると、京成電鉄の経営理念が何処にあったのかと、考えさせられてしまった。
 無論、街の変容が駅や鉄道会社の思惑のみに左右される事は決して良い事ばかりであるとは思っていない。
 しかし、切り立ったコンクリートの堤防に沿って綾瀬川と荒川が平行して流れ、表通りの喧騒に隠れるようにこうした風景を背にひっそりと佇む駅舎はあまりにも寂しすぎる情景である。

2006
 今年も暮れようとしている。2002年に再調査をしたが、この時、街は変容の兆しを迎えようとしていた。
 鉄骨筋建の家並が駅周辺に形成されてゆくだろう。駅周辺の住宅街は商店街に変容してゆくに違いない。
 変容の度合いは町家が高層住宅に変わりベッドタウンになる度合いに比例するだろう。
 尚、地主層の資産状況及び職層の歴史的状況から推察される結果は小規模の賃貸共同住宅群が形成されるだろう。
 かつての家並が木造建切り妻造が多かった事はこの街が商家や町家が多かったことを現している。
 土地所有形態が借地もしくは小規模であるといえる。また、別資料により所得と家族年齢構成そして学歴から推定される職域構成が推定される。
 これらの要因が住民のこの地域周辺への依存性の高さを決定づけていることも窺える。その結果が街並形成の決定的な要素となっている。

医療環境
1991
 家族構成は親と2人暮らしであると推察される。
 アンケート結果の分析によると、彼女は医学的知識を豊富に持っている。但し、医師に全面的に頼る傾向がある。

 アンケート結果についての分析は研究会などで更なる検討を加えたいと考えている。

 食生活はバランスの良いものであり、日常生活の堅実さが窺える。思想的な面では保守的傾向にある。
 自宅は京成押上線四つ木駅の近くである。しかし、老親が長期入院した場合、自宅を通過して青戸病院を訪問する事となる。但し、彼女の勤め先が京成本線を利用した所に位置した場合はこの限りではない。
 また夕食の買い物の傾向を見る限り、夕食の支度を終えた後に病院を訪問する事が、彼女にとって合理的選択であると推定される。
 この付近は平和通りと水戸街道に囲まれた商店街を抜け線路を跨ぐといきなり裏寂しい街並みとなる。
 四つ木は繁華街に属している地域であり、彼女が病院を訪問して帰宅する際も治安上の心配は少ないであろう。

2006
 付近の病院に選択肢を増やした場合、1995年の病院事情が変わっていないならば、京成本線の堀切菖蒲園駅やお花茶屋駅そして総武線の青戸駅の周辺の病院も選択肢の対象となるだろう。
 堀切菖蒲園駅と新小岩駅を結び四つ木町を通過する京成バスとタクシーそして徒歩により病人を見舞う事となる。但し、難病疾患あるいは家族関係により特定疾患等対象病院や遠方の病院に入院する場合は想定外である事をお断りしておく。
 なお、左記の病院の診療科目については一定の考慮をしたが、基本的には病床数や指定医療環境を考慮の重点としている。