家族社会関係




医療において、患者にとって安心できる治療とは何かという事がすべての基本であるべきである。
在宅治療は医療構造における家族関係を理論化する際の重要な要因である。
入院治療と在宅治療の違いが家族社会関係に及ぼす影響は大きいものがある。
この事について、この後の項目で詳細な検証した結果を示す。
 ここでは医学研究とその成果が社会に及ぼす影響を考察する為の基礎知識として、日本の家族社会関係についての概要を述べるに止める。


日本社会を理解するための諸概念

民俗学や人類学そして社会学は村落構造と家族社会関係の概念を作り上げた。
村落社会と都市社会の違いと同一性についての一般的関係を明らかにする。
社会の一般的関係はひとと人の関係である人間関係として捉え返す事ができる。
それは言語を媒介とする共通の社会的心性を持っていると考える。
都市社会を理解する手段として、東京という都市の形成過程を社会的心性の側面から明らかにして行きたい。
村落構造を日本的心性との関係について考察する時、日本的心性は村社会に特徴的な現象である。

都市である東京は町会や地域社会関係における習俗としても現れる。

以降、都市としての東京を都市東京と規定する。

村落構造と言う概念は農村、漁村、山村の共同体研究から概念化されたものである。
村社会で概念規定された実体が都市でどの様に存在しているかの生態学的研究は、都市東京の現在と未来を知る有力な手掛かりとなる。
村落構造が歴史的にどのような存在であったはマックス ウェーバーの著作(訳著)からの概念を援用する事とした。
日本という地域に根ざしながらも国家というものに対する帰属意識を払拭すると視点が明確になる。
しかし、社会問題を説明する時に、国家という概念を払拭すると、その表現が難しくなるのが現状である。
この事は地球社会が未だに国家の桎梏から解放されていない事の反映である。
生産諸力の構造から明らかなように、都市は膨大な事務処理若しくは情報処理という余剰生産力の成果によって経済を成り立たせている。
また、その力を使い農村と都市に渡る経済の制御を行おうとしている。 そうした制御は政治支配として支配層の形成を促すのである。
そうした支配層という属人的存在は、制度という形で社会の表層から姿を消し、支配関係を自然の一部であるが如く見せている。
こうして、支配の正当性は民衆の意識、つまり社会のエートス心性に於いてのみ存在する。
人びとの心に正統な位置を占めさせて、次に国家権力として現実形態を現すのである。
現代の日本における支配構造は都市における村落構造と不可分である。
その理由は以下のとうりである。

現代は憲法と選挙、議会と司法そして行政という法的支配の正当性が支配的である。

しかし、社会学はこうした法による正統支配だけで日本の社会を説明しないのである。

非正統的支配である伝統や習俗そして習慣が法的支配と比較して社会的な正当性を持っている。
都市は集落としての規模や工業化そして市場の存在によって村落と対比される。
大規模集落及び工業についてのみの特徴性だけでは都市とはならず局地的市場を持つ、市場集落こそが都市である。
市場という取引関係がある故に正当的支配である法的支配が発生する。

逆説的であるが、市場である故に法的支配を逃れる機会に恵まれるのである。

現在の日本における非正当的支配の特徴は商業上の慣習に現われる。この事については後述する。
また、都市における村落構造は伝統的支配として非正当性を持っている。
しかし、その構造を支える心性は法的支配を従属化させる内面的支配が勝っているのである。
こうした伝統的支配が都市に現れるのは先程述べた法人の間で行われる商慣習に表れる。
その他に町内会やPTAそして政党を含む自治組織に表れる。
また、これらの自主自律の組織は自主防衛組織を持つ事がある。
そして、政党を除くその他の組織における代表者達は、協力者という名目で官僚組織の末端に組み入れられたのである。
歴史的にみると江戸幕藩体制の封建制での身分差別に拠る民衆の社会的地位とそれを支えた心性は解体している。
明治期において社会的地位としての貴族層の復権と共に、カリスマ的支配としての天皇制が樹立した。
更にその政治的カリスマ性と伝統的支配を権威づけ正当化するために、神事を軸とした宗教的なカリスマ性を徹底させたのである。
天皇制は農村における入会権や漁村における漁猟権の正当性を根拠づける役割を果たしたのである。
そして、様々な伝統的支配に類型化されうる共同作業での共同体に於ける支配関係の正当性を根拠づける役割を果たしたのである。
その宗教的性格の象徴的支配は、法的に確立していない占有権や所有権に関わる事象の支配や組織共同体の方針決定を方向づける伝統的支配を正当化してきたのである。
 特に、第二次大戦後の天皇制は、心性的象徴的な支配として、民衆を国家へ帰属させる果たす事になったのである。
こうした心性的象徴的支配は、企業などの方針決定に際して、法的な正当性を超えた意志決定権者の主張の正当性を保障するのである。
日本における都市での法の支配の継続性は企業の非正統的な経済活動に伴う違法行為によって中断され変更を余儀なくされる事が多いのである。
こうした宗教的エートスを支える教義とその表象は地域や歴史によって地球的規模で変容している。
その結果、その地域独特の風俗や習慣そして慣習を形成する要因のひとつを形成するのである。
 支配関係そしてそれを追認する法の存在が在る限り、あらゆる会議に於いて支配者の利害と異なる合理的もしくは合目的的な議論は存在しない。 そこにあるのは協議という利害関係者の権力関係を反映した妥協案である。