N35°44'00.5”
E139°46’56.4”
014-2
1991

2003

1991
エリア
014
住居
荒川区荒川4丁目
付近の駅
京成線
新三河島
町屋
都電
荒川2丁目駅
草63
草64
荒川4丁目
出身地
略
性別
女
年齢
30代
家族構成
大人2人
子供0人
居住
略
付近の家並
木造建切り妻造
鉄筋建
付近の河川
隅田川
付近の総合病院
東京女子医科大学第2病院
関川総合病院
居住環境
この地は徳川江戸幕府が興隆した時代に三河から職人を多数連れてきて居住させた名残であるという。
その三河島という地名で称されていたこの地域は公園や駅名にその名称を留めている。
嘗て三河島地区は小さな家が多くあった賑やかな所であった。
しかし、現在は鉄筋の建物も増えて落ち着きのある地域と変容している。
だが、この町がこれ以上の発展する条件は街の中心軸となる理念を持つ事。
ここに住む人々の経済力が一層増す事が条件となるだろう。
医療環境
親子2人暮らしと推察される。
老親が入院する事態が発生した場合、彼女の実生活に対する影響は比較的少ない。
むしろ、その生活を支える精神への影響が大きいと考えられる。
彼女は栄養バランスのとれた食事を作り、リベラルな精神の持ち主であり。
ヒトの悲しみを思いやることのできる豊かな人生を送ることのできる人格を持っている。
比較的暮らしやすいこの土地ではあるが、もし、彼女自身が長期入院という事態になったときは多くの問題が発生すると思われる。
この街の未だに余裕ない暮らしは近隣関係に於ける奉仕活動を困難にしている。
この結果、老親一人が生活する「独居老人世帯」が生まれるのである。
この辺りは住宅が密集しており、彼女が病院を訪問して帰宅する際も比較的安全であるといえる。
2008
2003年の撮影時は路地裏にも関わらず通行量が多く、また違法駐車の車等もあり、撮影チャンスを得るのが難しかった。
やむを得ずシャッタを切ったが、多分これから街頭に繰り出すであろう一群の人々を撮影する事となった。
様子からすると、身体障害者を先頭にした集団であるようだった。
偶然映った人々は撮影を拒んでいるようにも思えたので、この写真の公開をためらった。
しかし、路地裏の様子を取った中で状況の判る比較的良い写真である事から、使わざるを得なかった。
身体障害者を先頭に歩く写真もあったが、公開はしない。
身体障害者が先頭の集団が偶然の被写体となる事を、警戒しなければならない状況に驚かされた。
日本という地域の危うさを感じた。
現状は2003年よりも閉塞感があるのは何故だろうか。