N35 °44′24.04″
E139°45′13.03″
018-1
1991

2003

1991
エリア
018
住居
北区上中里1丁目
付近の駅
東北本線
尾久
京浜東北線
上中里
茶51
王49
西ケ原1丁目
出身地
略
性別
男
年齢
60代
家族構成
大人3人
子供0人
居住
略
付近の家並
木造建寄棟造
鉄骨筋建共同住宅
付近の河川
石神井川
隅田川
谷田川
付近の総合病院
大蔵省印刷局東京病院
東京都立駒込病院
居住環境
京浜東北線の電車にのしかかる駅前の崖の上にそびえ立つ鉄骨筋建のアパートの裏は電車からは見えない。
そこにはどんな町があるのだろうか。
こうした情景に遭遇するといつもながら胸の高まりを覚える。
下町の雰囲気を漂わせる駅前から急な坂を上るとそこは山の手の雰囲気を漂わせた静かな住宅街であった。
そこは起伏の激しい西ケ原の街につづく高台の町であった。
この付近は木造の寄棟造りの住宅が多くあり、付近は学校に囲まれた落ち着いた場所となっている。
今は夏休みのためか学生に会う事もなくて静寂があたりを支配している。
医療環境
家族構成は本人と妻そして成人した子供であると推定される。
居住地から駒込病院への交通手段は現地踏査をした1991年7月の状況から変化している。
交通営団南北線(目黒~赤羽岩淵)の駒込~赤羽岩淵間が1991年11月29日に部分開通したからである。
この結果、同線の西ヶ原駅から駒込駅へ一駅乗り、緩い上り勾配の道を約1キロメートル程行くと駒込病院に着くのである。
或いは駒込駅南口から駒込富士前まで茶51を利用することもできる。
尚、同線は北は浦和市東部まで延びる予定であり、南は目黒駅で東京急行電鉄目蒲線と相互乗り入れしている。
駒込病院の裏手に当たる本駒込駅が開設される予定である。
今は従前のルートであるJR上中里駅から田端駅に抜け、端44を利用して田端駅から駒込病院構内に行く事の方が早い。
彼は医療には殆ど関心無く新聞報道などの範囲で脳死等の事に関心を寄せている程度である。
家事には全くと言って良いほど関心無く、思想は保守的である。
彼の妻が長期入院した場合を想定してみる。
彼の生活習慣を考慮した場合を想定する。
彼の成人した子供の何れかが病院を訪問するとき、彼の食生活が大きく変動する事が予想される。
従って、彼自身が病院を訪問看護する事の方が妥当なであると了解する。
この場合は東京都立駒込病院よりも大蔵省印刷局東京病院の方が至便となることは明らかである。
駒込病院は南北線の全面開通とともに二点の駅を結ぶ通過点としての病院として至便な条件を具備する事になるであろう。
2008年
清徳丸の悲報に同情を禁じ得ない。
ご家族の憤りは如何ばかりのものか。
計り知れないだろう。
その後、自動航行が問題となった。
当直隊員は何人いたのだろう。
当直士官の判断は絶対であったのか。
進言する事もはばかれる雰囲気があったのか。
現代日本の状況を先進的に体現しているのだろう。
よもや、当直の人数が国会報告と違っていたりしてはいないだろう。
国政を担う内閣が行う文民統制自体が試されている。
前回の調査ポイント記録が不正確であった事により、付近の調査となってしまった。
しかし、この辺りの家並の変化は大きい。
これは付近住民の所得の伸びを示している。
また、年齢階梯の変化を現している。
家族構成の変化である。
病院と診療所共に、医療機関の果たす役割も変化して行かなければならないだろう。