都市東京の混沌とした社会状況下における在宅治療の社会的意味





現在は十年以上前に分析し予測した状況となっている。

そこで予測した問題も現実のものとなっている。

その辺りを次に記す。
都市東京の混沌とした社会状況下における在宅治療の社会的意味について展開したい。

主に参考とした資料は次の通りである。


「健康に関する世論調査、東京都情報連絡室広報広聴部都民広聴課、1991、3発行」

「東京都在宅ケア実態調査報告書、東京都衛生局健康推進部高齢保健課、1991、3発行」

「福祉局事務事業概要、福祉局総務部総務課、1993、9発行」

「東京都の高齢者福祉施策の概要、93、東京都福祉局高齢福祉部計画課、1993、8発行」


 既に述べたように高齢者福祉対策の対象は法では65才以上を対象としているが、行政的には40才以上の成人に対して高齢保険事業が施行されている。

(第45編:厚生、第46編:社会福祉、第47編:社会保険の中の第46編:社会福祉の老人保険法)

 「東京都在宅ケア実態調査報告書」の統計で「年齢階級」は「40〜64、65〜69、70〜79、80〜84、85〜89、90〜」となっている。

これは雇用労働における年限を65歳に設定し、年金の支給を66歳からとする政策と整合した行政の意志が反映したものであると断ぜざるを得ない。

 40〜60歳までの統合の法が実状に合っていると思われる。

 医療における在宅ケア問題は高齢者の患者に限られた問題だけではない。しかし、高齢保健事業は医療から福祉へと加重を変化させた。

 これに伴い在宅ケア問題は医療の問題から主に高齢者を対象とした福祉の問題へと変容したのである。

 ここで、「健康に関する世論調査」を軸に在宅ケアに関わる諸要因の問題を明らかにしてゆきたい。その結果を「東京都在宅ケア実態調査報告書」に報告されている実態と比較したい。

 そして、混沌としている都市東京の支配原理を浮き彫りにすると同時に、在宅ケアの将来にふれてゆきたい。
 島嶼では医療関係者は在宅ケアの訪問診療時において家族の事や生活全般の事について細々とした相談を受ける事があるようである。


 それは自宅というものが患者自身の支配領域であり、医師、看護婦、保健婦、医療関連生活相談者等は来訪者である理由によると考えられる。
 従って、在宅ケアに於けるこうした傾向は都市東京でも顕著となると予想された。


 しかし、東京都が実施した東京都民を対象とした「健康に関する世論調査」の結果は次の通りであった。


「医師やカウンセラーへの相談意向」(59頁)

「Q7、いらいらやストレスなど精神的悩みを解消するために、医師やカウンセラーに相談したいと思ったことがありますか。」
「ある」7.1%、「ない」91.7%

明らかに、信頼関係という点での医師やカウンセラーに対する希薄な信頼度という傾向を理解することができる。

この傾向が生じた原因は医師との全人格的交流の度合いが少ない事による結果によるだけが理由でないだろう。

 同じく、東京都が実際に訪問指導・介護を継続して受けている東京都民とその介護者を対象に行った調査結果がある。


「東京都在宅ケア実態調査報告書」


「6 ケアニーズと援助者
(1)ケアニーズ(1年以内に援助を必要としたことがら)
『身体的病状・症状』2,137人(90.5%)
『入浴・清潔』1,920人(81.3%)
『移動・歩行』1,808人(76.6%)
『精神的問題・症状』1,728人(73.2%)
『医療に関すること』1,716人(72.7%)
『食事・栄養』1,660人(70.3%)
『生活指導』1,643人(69.6%)
『排泄』1,640人(69.5%)
『福祉制度利用』1,583人(67.0%)
『リハビリテーション』1,558人(66.0%)
『家族の健康管理』1,537人(65.1%)」(53頁)


 調査対象による違いは「健康に関する世論」の調査結果と「東京都在宅ケア実態」の調査結果の差異を生み出した。

この現象は都市東京の混沌を表出させているといえる。
 その混沌の実体は、東京の市民が意識に於いて村落構造を特徴づける家父長的支配の正当性というエートスを持ちながら、実生活に於いて親類縁者による相互扶助や大家族制による援助を期待することが出来ない事に起因している。
 この位相の本質に於ける構造と機能は家族関係の変容と周囲の自然環境や社会環境との関係の変容である。

以下に論ずる。

 都市東京ではひとが家族を構成した時、日常的な関係に於いて親類縁者と交流もなく親家族との交流も限定される。

 この結果、さまざまな援助や助言が期待できないままに核家族が孤立した状態で自主自立を余儀なくされている。
 農村や漁村そして山村などは自然と深く結びついた経済構造と共益社会関係を軸とした共同体を形成している。
  それに対し、都市東京では自然と疎遠な経済構造と利益社会関係を軸とした疑似共同体を形成している。

 こうした状態の中で、核家族とそれを構成する人々はひとと人やひとと社会を結びつける紐帯である思想や実生活上の実体を持つことが出来ないのである。

 都市東京における諸個人はこうした混沌状態を受け入れ、利益社会関係を調整する法社会関係による共同体の形成過程にあると思われる。

 都市東京における在宅治療は、伝統的共同体を基礎とした共同社会関係と法社会関係を基礎とした新共同体形成過程との関連に於いて新たな問題を発生させるのである。

この問題の発生が在宅治療に関する世論と実態の差異を発生させたのである。