
医学社会学を出版して、早くも数年が経過しようとしている。その後、インターネットのホームページを開く際に様々な語句の修正に加えていくつかの重要な概念を改訂した。
序論で展開した重要な概念で変更したのは、上部構造を意識構造に、下部構造を実生活構造に換えた点である。
その理由は建築上の概念を援用した比喩的表現から分析可能な表現に換えることにより、その意味が直接に伝わることと、存在する事象の変化に伴う概念規定の変更を容易にするからである。
意識構造は政治、法、行政などが大衆の支持と正当化の結果に生じた現実形態であり、この意味において意識の宗教的信念や倫理観を軸とした共同社会関係そして経済的利害を軸とした利益社会関係を統合した個人意識の集合構造として定義づけられるべきものである。
実生活構造はそうした意識構造と密接に関係しながらも各々の個人や集団の思いや理想と乖離してでも貫徹される客体的事象である諸経済の構造を軸とした個人生活の集合構造として定義づけられるべきものである。
ひとの営みが自然と無関係でないように人々の営みである社会も自然と無関係ではあり得ない。自然環境が村落はもちろん都市の形成においても重要な要因となっている。
自然地理的条件は生活圏を規定することが広く知られている。
例えば、都市地図上で近くにある病院であっても交通手段の有無や地形上の歩行困難そして治安の善し悪し等により敬遠されることもある。
ひとと人々の営みがこうした自然条件のみ決定されるわけではない。交通が不便であっても多少の歩行困難であっても、評判の良い病院や専門病院は遠方の患者を引き寄せることが多い。
現代医学は自然科学を基礎に発達してきたがその根底に人々の生活観が存在していた。
医学における医療関係者と患者そして医学の関係は社会関係と自然法則の新たな関係を提示している。
例えば、ある疾患において、診断と治療は多様であるが、自然科学的領域における最善の治療法はある程度限定される。しかし、その治療法と患者の生活環境を照会したとき、それが最善であるか否かは患者自身の判断に委ねざるを得ない。
医学社会学研究会はこの視点から診断と治療過程に即して研究してゆく。
診断と治療は病人の状態に則して行われる。また、病人の状態は救急処置を要する場合と既に確定診断がついている場合に別れる。次いで、通院可能な状態と入院が必要な状態そして在宅医療が可能な状態に区別される。
病人の生活環境はその社会構造に規定され個々の事例ごとに多種多様である。そして、疾患の鑑別と治療の過程は生活環境の知見と深く関わる。この事を念頭に置き、医学社会学研究会は診察から治療にいたる経過をMedical Sociologyの研究対象とする。
医学社会学研究会は社会科学と自然科学の統合をめざす目的もある。自然科学で取り扱われる領域と社会科学が取り扱う領域の中心に人の営みがある。
従って、さまざまな課題はその定立においてひとの価値判断があるとする視点によって、研究を進めることとなる。
河川を中心とした人の営みと集落の形成を念頭に置いた地域の分類は医学と医療の領域に踏み込むための道案内の役割を果たすものである。
更に、自然科学と社会科学の関係という思想史上の困難な命題を分かりやすくする意味でも、医学社会学調査の基礎資料を収集する為でもこの部分は重要な意義を持つのである。
呼びかけ文より引用
社会を構成する基礎単位をどこに求めるのか。自然の一部である人即ち個人であるか、社会を再生させる基礎である家族社会関係であるか。社会学においてもこの事が議論されてきた。
何れにせよ、一般社会人が日常生活において営む生活はあらゆる幸福感の基礎といっても過言でない。それは家族社会関係のなかに見ることができるだろう。あるいは習俗習慣を基礎とした伝統的文化という社会関係に見ることもできるだろう。また、あらゆる場面において変革を求める社会関係に見ることもできるだろう。
一般的に、朝に目覚めて昼に活動をして夜を過ごし就寝する。これがひとの生活である。
個人と家族が健康に過ごす事そして余暇を楽しむ事が文化的生活であるといえる。このために人々は心身の健康を保持することに努めるのである。
だが、ひとはある日突然病気になる。このときに家族社会関係は大きな影響を受ける。当事者である患者は一刻も早くかつての生活を取り戻したいと考える。周囲の家族も闘病中の患者に気を使いながらかつての生活を取り戻したいと考える。
個人差があるにせよ、あらゆる疾病は独特の一定経過をたどる。その事による影響は個人と家族のそれまでの日常生活に大きな影響を及ぼす。
治療、それは病院や診療所によって治療法に大差はないと思われている。そうなのだろうか。
家庭環境に及ぼす影響はどこの病院に通院あるいは入院しても同じなのだろうか。日常生活の行動範囲なのか否かによって、違いが生じるのではないか。
これまでの生活体験を通じて、治療法の違いや入院の有無による影響を考えることが明日の日常生活を支えることになる。この視点からの検証が明日の医学を築く礎となるであろう。