

付近の駅
1991
有楽町線
豊洲
業10
東17
海01
門19
錦13甲
東15甲
豊洲駅前
2006
有楽町線
ゆりかもめ
豊洲
海01
豊洲01
業10
門19甲
錦13甲
東15
東16
豊洲
出身地
略
性別
女
年齢
40代
家族構成
大人2人
子供3人
居住
略
付近の家並
1991
木造建切り妻造り
鉄筋建
2002
鉄骨筋建高層アパート
鉄筋建共同住宅
木造切妻造仕舞屋
付近の河川
月島川
隅田川
1991
付近の総合病院
聖路加国際病院
2005
付近の病院
鈴木病院
昭和大学附属豊洲病院
木場病院
有明病院
聖路加国際病院
石川島播磨重工業
健康保険組合病院
月島サマリア病院
住居
江東区豊洲5丁目
GPS
N35°39′03″
E139°48′04″
居住環境
1991
豊洲は東京湾の埋立地にある。付近は東京電力火力発電所や東京ガスの巨大な貯蔵所がある。
こうした殺伐とした風景は1960年代の東京の雰囲気を未だに漂わせている。 高度経済成長期と呼ばれた、その時代は住環境も景観も何もかもが経済成長率の神話のもとに踏み躙られてきたのであった。 近くに東京運河貯木場があるが、親水公園は無い。海辺は護岸工事跡のコンクリートに守られた私有地と化している。 こうした工場や倉庫の寒々とした景観がこの地域の環境を特徴づけている。
有楽町線の開通によって交通の便が良くなったとはいえ、この地域の居住環境に関する課題は大きいものがある。
2002
かつての空き地やカフェそしてバーなど三業地の流れをくむ場所は立入り禁止となり再開発を待っていた。
既に入居をすませている高層アパートも建っていた。近くには高架鉄道の建設も始まっていた。 この荒れ地は大きく変わろうとしていた。しかし、土地の形状を見る限り、多くの土地が巨大開発に組み込まれているようだ。
街並は計画的に造られ管理されている。地縁或いは血縁のしがらみは無いであろう。
しかし、自然発生的な自治組織は創られるのだろうか。義務的な管理組合だけの街になるのだろうか。
2007
6月現在、高層アパートが立ち並び、近隣には駐車場付の大型スーパーマーケットが幾つも建っている。
居住環境は急速に改善されているようだ。しかし、整備された6車線道路をはじめとして街路樹の少なさが目立つ。
商店街が無いのも特徴である。高層アパートの一階辺りに商店がある。街の規模に比べて歩行者の数は少ない。特に子供の姿はほとんどない。肌のぬくもりなど必要としない、資力に支えられた高級住宅街である。
高級住宅街に暮らす人々の実態は遊興、寝食、仕事、介護、そして療養が分断されている。
生活シーンの振り分けが可能である居住環境が特徴である。家計の豊かさがそうした実生活を支えているのである。
医療環境
1991
家族構成は夫婦と子供3人であると推定される。彼女は医学的知識は少ないが家族の健康に常に留意し、比較的リベラルな思想の持ち主である。 聖路加病院は有楽町線豊洲駅から乗車して新富町駅で降りて約500Mの所に在る。
彼女の住居も豊洲駅の開設に合わせて造られており、他の交通機関はかなり不便である。 アンケートの回答から、彼女が夕食の支度を一手に引き受けている様子が窺える。
彼女の夫が長期入院した場合、 同病院に入院している限りにおいて実生活での不便は少ないと考察される。 豊洲付近は埋め立て地であり、中級の分譲共同住宅が多く立ち並んでいる。
彼女が病院を訪問して帰宅するには決して良い環境ではないだろう。
しかし、比較的駅が近くに在る事から深夜をさければ危険は少ないだろう。
2002
近隣に昭和大学附属豊洲病院があるが、交通の便も悪く医療環境は良くない。商店街も無く海上に孤立した島のようである。
開発中であるが、こうした生活を支える環境がどう整備されていくのかが、この街の課題であろう。
2007
比較的初期にたてられた高層アパートの入居者は街がどのように形成されていくのか、知る由もなかっただろう。
鈴木都政下の臨港部における世界都市博覧会の開催は失敗に終わった。しかし住宅建設において、臨海開発は継承されていると考えるべきだろう。
医療機関や学校などの整備は遅れている。しかし、周辺にそうした施設を必要としない生活者が多いようである。