GPS
N35 °46′43.4″
E139°43′48.3″

107-1

1991



2003



1991

エリア
107

住居
北区志茂5丁目

付近の駅
京浜東北線
埼京線
赤羽

王41
志茂2

出身地


性別


年齢
50

家族構成
大人2人
子供2人

居住


付近の家並
木造建切妻造

付近の河川
新河岸川
荒川

付近の総合病院
国立王子病院
大蔵省印刷局東京病院

居住環境
環状八号道路に面したこの街は荒川土手という自然環境に恵まれている。
しかし、川の汚染と川岸の荒廃の為にその自然条件を生かし切れずにいる。

今はただ走り去る車の通過点となっているだけの街である。
環八は街に何をもたらしたのであろうか。

どのような過程を経たにせよ、街造りの中心軸を失い緑を失った時、そこは灰塵を被るだけの場所となる。
そして、人々の暮らしを破壊する排気ガス公害という凶器だけが残されるという事である。

医療環境
家族構成は本人と妻そして子供であると推察される。

彼は家事の分担等をして堅実な実生活を送っている。

彼の妻が長期入院をする事態が生じた場合、彼が病院を訪問して後に夕食の支度をする事になる。
この際は通勤時間が問題の焦点となるであろう。
通勤時間が短ければ、彼の実生活は余り大きな影響は受けないであろう。
しかし、1時間を越える遠距離通勤の場合は大きな影響を受ける事になるであろう。

2008

日暮里舎人ライナーが動き出したようだ。
この線はバス路線の代わりである。

1991年の鉄道やバスを利用した調査で気づいたのだが。
バス路線の多くは市場と市場を結ぶように張り巡らされていたようだ。

人を運ぶようになってからは、路線を張り巡らせると人が行き交い混雑する。
そして、利便性の為に交通網を張り巡らせる。
また、都市計画はそれを当て込んで事務所地区や居住地区が創られる。
人口構成の予測はしていないか外れているようだ。

この結果、教育や福祉施設そして医療施設の整備が遅れる。
この付近も南北線ができて人口の移動も激しくなり、新たな団地もできたが緊急医療を行える設備を持った病院は増えていない。