
法人としての資格を持たない社団組織についての共通点は法的な地位が曖昧な事である。
従って、その運営や経営は伝統的な支配と成らざるを得ないのである。
その端緒は町会が神社などを中心とした祭祀に積極的に関わって行く事から始まる。
他方、都市部を構成する産業人口は企業の従事者であり、住民の多くはこうした行事に積極的な参加が困難である状況下に措かれている。
従って、行事の遂行自体が一義的な命題となり、地縁関係がこの事を中心に統合されてゆく傾向となる。 この結果、一部の指導者と活動可能な支持者たちの配下に従属する事となるのである。
引き続いて、都市東京が自然と疎遠な経済構造である事。
その結果、主となるのは利益社会関係であり、共益社会関係が従とならざるを得ない事についても言及しておく。
こうした「世論調査」の結果を生み出す生活環境と社会的心性はどのような関係にあるのか。
都市東京において共益社会関係が従となるのは、日常的な生産活動で共益関係が殆ど無いことに起因する。
また、居住地における勤労者層とその家族は他の家族と仕事や勤務先の企業が異なっているという事情が存在している。
この結果、共益社会関係は地域環境問題か教育問題等に限定される事になる。
村落構造が都市構造に変容するのに伴って、家族社会を支える経済関係は家産的経済から企業経済に移る。
つまり、企業で労働する家族の収入が家計を維持するのであることによって企業経済に組み込まれるのである。
給与という収入の存在形態が家計を支えると消費性向は固定的にならざるを得なくなる。
このために地価高騰や地代家賃の高騰などの住宅事情があると、都市生活は核家族に成らざるを得ないのである。 ここで、都市における在宅治療を支える諸個人の経済関係について整理しておく。
社会の生産活動を社会経済とすると、個人の消費活動は個人経済という事になる。
個人経済は実生活そのものであるという点に於いて個人の全人格的表現の一環である。
村落は土地や漁場などの自然資源と密着した経済活動を行っている。
対して、都市は工場や事務所そして商店街等の人工資源に密着した経済活動を行っている。
特に概念として、都市に於けるこうした社会的経済活動を都市経済構造と規定しておきたい 。
都市構造に於いて個人経済と都市経済構造を媒介するのは雇用関係である。
都市において、事業を行わず個人経済を営む諸個人は、官庁や企業と私的雇用契約を結ぶ事によって都市経済を構成する事になる。
こうした個別化された経済関係は地域生産関係から個人の自立を促すのである。
ここから生まれる心性は、都市という密集した人間関係による疑似共同体を基礎とする事が余儀なくされるため、社会的心性となるのである。
都市に於ける社会的心性は、個としての人格の確立であり、法を基礎とした生産と消費という経済活動の保障であり、自由の保障の基盤と成りうるのである。
社会的心性は社会経済構造に先行して変化するものであり、継いでその心性にあった法に拠る支配を希求するものへと向かわざるを得ないのである。
従って、新法の確立とその支配は常に現状追認とならざるを得ないのである。目的とする法的保証は既成事実の積み上げという現状先行によらざるを得ないのである。
変革へ向かう社会的心性は混沌からの脱却の鍵である。また、法の基での平等を確立する礎となるのである。