071-1

GPS
N35°39’41.3”
E139°42’54.5”


1991
画像



2003



2009




1991

エリア
071

住居
港区北青山3丁目


付近の駅
千代田線
半蔵門線
表参道駅

都バス
茶81
北青山
黒77
南青山2丁目


付近の家並
鉄骨筋建事務所ビル
木造建切妻造
木造建寄棟造

付近の河川
渋谷川

付近の総合病院
東京電力病院
慶応義塾大学病院
日本赤十字社医療センター


1991
居住環境
華やかな表通りの裏には木造建の古い建売住宅が立ち並んでいた。
更にそこを過ぎると中級住宅が連なっていた。
再び、そこを過ぎるとまたも喧騒の表通りへと抜けた。

港区と言うとそのほとんどが商業地域であり、事務所や店舗ばかりがあるような錯覚を起こしがちである。
その原因はさまざまな事によると思われる。

街の景観が変容した経過は次のようである。
初めに、防災として延焼の防止と避難通路の確保を目的と不燃住宅の建設をした。
この為、住宅街の表通りが耐火造りの高層ビル群に変容した。

次いで、付近の外国大使館やテレビ局などの存在が街の景観に華やかなイメージを与えた。
そこに銀行や不動産関係者が目を付けて土地や建物を多量に買収した。

この結果、南青山を見る限りでは住宅街の存在自体が圧迫され始めたのである。


医療環境



2009
災害が起こる度に公共施設の損害が表面にでる。
主な理由は公共施設の設立過程にある。

過去、地震等で変位地形が生まれ、断層に沿って河道が出来たりした。
人はそこを共有の場として様々に利用した。
急傾斜地と隣接したり、崖崩れを起こして竹林に変容させられたりしている個所もあった。

明治以降、河道を含め入会地のほとんどが公有地となった。

余談であるが、登記上での不整合地はこの河道や暗渠そして跡地が原因である。

耕作や居住に適していない入会地の跡地の多くに公共施設が建設された。
古地図と現在の地図を照覧すると明白である。

役所や学校そして医療機関の多くは嘗ての入会地や不使用地などに建っている。

土地条件を比較すると次のような事がわかる。

ヨーロッパの現在の公共機関の成立は城郭都市の成立とほぼ変わらない。
嘗ての貴族の館や王宮が役所や公共施設に変容している。
つまり、多くは安定した土地条件なのである。

日本の現在の公共機関の成立は既に述べた通りである。
城や武家屋敷そして名主や庄屋などの利用していた土地以外の場所に建っている。
あるいは自営農民である本百姓が利用していた土地以外の場所に建っている。
つまり、多くは不安定な土地条件なのである。

いかなる国や地域において、次の事は考察されなければならないだろう。
環境政策における公共施設の設置は土地政策と一体として考察する必要があるだろう。
もはや、都市計画は一定規模以上の土地所有者に対する対応なしに成立しないであろう。