GPS
35°33’52.3”N
139°42’55.3”E
1991

2003

2010
略
1991
エリア
098
住居
大田区西蒲田5丁目
付近の駅
池上線
京浜東北線
蒲田
地下鉄
略
バス
都バス
略
付近の家並
木造建切妻造
付近の河川
呑川
六郷用水
付近の総合病院
東邦大学医学部附属大森病院
日本赤十字社東京都支部総合病院大森赤十字病院
牧田総合病院
城南総合病院
社会保険蒲田総合病院
1991
居住環境
この地域は蒲田駅から10分位の場所である。
蓮沼の別名があるように蓮田を埋め立てた所である。
ここも又、過去の安易な開発の為に街の中心となる軸を書いている。
結果、混乱した町並みを形成したようである。
街の中心軸となる理念がないままに家屋を建てた地域は、新たな再開発を余儀なくされる傾向にあるようだ。
同時に、そこの住む人々も自分たちの住む地域に対する関心が薄くなる傾向もあるようである。
その主な原因は、都市計画の決定に地域住民が直接参加できない法制度に在る。
幾分かの規制はあるにしても、土地は財力によってのみ取得が決定される。
地域の雰囲気を破壊する外観の建造物を勝手気ままに造る事が可能である法状態に起因している。
医療環境
略
2010.05
昨日より行政刷新会議の事業仕分けが再開された。
街の人々の暮らしである実生活構造に直接影響が出るものではない。
しかし、将来に向けての重要な一歩である。
蒲田の街は、京浜急行が品川と羽田空港を直結するダイヤが組まれた事で一定の混乱を来している。
嘗て、蒲田区と大森区が合併して大田区が出来た。
区役所の所在地設置場所で合意形成が為された。
区役所の所在地を大田区中央と名称を付けた。
又、大森駅から国鉄線で結ぶ予定であった。
これは様々な理由から頓挫した。
その後、羽田空港の再整備とその付近の再開発に際して、様々な事態が生じた。
国鉄用地を管理した清算事業団が提供した用地と、その付近の再開発に関係した問題も生じた。
桃源社ビル問題の解決は、大田区が取得して現在の大田区役所となった。
嘗て、蒲田駅と京浜蒲田駅を結ぶライン構想は新大田区役所の建設とセットであった。
東西を結ぶラインは、モノレールで繋ぐ構想もあったようであるが消えた。
短距離の蒲田駅の東西を結ぶ新空港線は、独立した事業主が行う事の採算性が斟酌された。
補助金に依る採算見込みには、どの企業にとってもリスクが大きすぎたようである。
地下街構想もあったが、地下埋設管等共同溝の再整備が必要であったりして消えた。
又、地権者の様々な思いがあったようである。
当時の状況に言及しておく。
京浜急行電鉄株式会社の羽田空港への延長に因る影響は東京モノレールに及ぶ事が明白であった。
しかし、東京モノレール株式会社は天王洲アイル駅設立構想で収益を上げる事が見込まれた。
蒲田駅の東西を結ぶ商店街の活性化や居住環境の治安を考慮した総合計画の再検討が必要であろう。
その一環として東西蒲田駅を結ぶ利便性の追求をすべきである。
京浜急行の京急蒲田駅通過は、蒲田の街の変容にどの様な影響をもたらすのだろうか。