061-2

GPS
N35°43’48.9”
E139°42’14.8”

1991
画像


2003



1991

エリア
061

住居
豊島区池袋

付近の駅
山手線
埼京線
東北線
丸ノ内線
有楽町線
東武池袋線
西武池袋線
池袋駅

付近の家並
鉄骨筋建
木造切妻造

付近の河川
谷田川
谷端川

付近の総合病院
東京都立大塚病院
財団法人癌研究会附属病院
日本大学医学部附属板橋病院
社会福祉法人聖母会聖母病院

居住環境
この街は約20年前には小さな店や仕舞屋しかなかった。
道路の拡張と有楽町線の延長により、山手通りと池袋西口方面へ行く通りが交差する十字路となった。
現在、繁栄の途上に在るようだ。

池袋の西口と東口の通りが直線で結ばれた時、この街の変容は激しいものとなるであろう。
多分、デパートを中心とした買い物客の賑わいばかりではなく新宿のようなオフィス街としての変容をも遂げるであろう。

池袋は新宿や渋谷と並ぶ新都心としての変貌を遂げる可能性をもっている。
しかし視点を変えると、都心部の多極化と居住生活者の排除となる結果を招来する可能性もある。
安易な予測は避けたい。

南青山交差点付近は高層ビルが建ち並び、その裏通りは居住地が広がっている。
都当局が大規模な災害時に火災の延焼を防ぐ防火壁を確保する目的によって都市計画を行った結果である。
大通りに面して耐火構造の高層ビルを建てるのを奨励したのである。

表通りが生活の場となるためには、住宅街の一部として耐火構造と消防法で定めた学校と同じだけの避難設備をした高層共同住宅を建設が奨励すべきだろう。

無人の都市を造るならば別であるが、人を運ぶ交通実態をも考慮すると都市東京が産業面だけを重視した機能都市としてのみの発達を遂げるのは不可能である。

2009
池袋付近の変容は著しい。
特に東口に面した付近は三越百貨店が取り残され違和感する覚える状況だ。

この後も続く不況の嵐は金融市場同様に第三次産業に多大な不況をもたらすだろう。
服装品や外食産業は最終消費者である一般勤労者によって支えられてきた。
街はこれまでと違った変容を遂げるだろう。

付近の救急医療機関の数はほとんど変わらない。
診療科の内容や病院運営の実体は小泉政権下で大きく変容した。
緊急医療機関の現状は今後予想される潜在的患者の増加と診療に対応できない。

初診と専門医療を分けた医療構造は不況による受診率低下に伴い再度の見直しを余儀なくされるだろう。

初診医療機関における受診率低下は患者の病状悪化の進行を促す。
この結果、救急隊による緊急搬送が増える。

緊急医療を行っている大学病院や公立病院は緊急治療を要する患者で慢性的な医師や看護師の不足となる。
政府は無償の補助金による資金提供を行うべきである。

緊急医療機関は慢性的な病床不足になる。
従って、搬送先の確保自体が困難になるだろう。

初診を促す為に緊急な国庫負担による医療の無料化が必要である。

診療所を初めとする民間病院の役割を維持する為に、医師、看護師、医療関係者の増員が必要である。
又、施設と設備の高度化を行うべきである。
政府は無金利の補助金による資金提供を行うべきである。